ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第08課 段落320 [2008-07-17]

320 But to have this great reward we must remodel our present house and admit the Father of us all into it. Then we as His children obey Him. Knowing He is all knowledge - our consciousness through eternity. For nothing, not even this present house we call our body, or the many planets in the cosmic system, belong to the sense man. He may claim them for the time being through his ignorance and separation from his Father, yet all of these things can be taken away from him and man cannot prevent this from happening. This proves that man owns nothing. He only fools himself when he claims ownership, and satisfies his ego for the moment.

320 しかし、この大きな報酬を得るには、私達は現在の家を改装し、その中に私達の父が入るのを認めなければなりません。その後は私達は父の子供達として父に従うだけです。父が全ての知識であり、永遠を通じて私達の意識であることを知っているからです。何故なら、何一つ、私達が自分達の身体と呼ぶ現在の家ですら、また宇宙世界の多くの惑星であっても感覚人に属するものはありません。感覚人はその無知と自らの父から分離している為に、つかの間、自分のものだと主張するかも知れませんが、これらの全てはその者から取り上げられ、人はこれが起るのを妨げることは出来ません。これのことは人は何一つ所有していないことを証明しています。彼は自分が所有権を主張する時、自分自身を騙し、つかの間自分のエゴを満足させているに過ぎないのです。



【解説】

自己の中に全てが有ると言っても、その自己そのものに、まずは父を迎い入れる必要があると言っています。これまで私達は「自分の身体」等の表現をして来ましたし、私も「自分の手や足は最後の時まで自分と一緒にいる」とも述べて来ました。しかし、本文ではこの身体ですら、エゴの所有物ではないと言っています。「自分のもの」と主張しているのは、一時的なエゴの勝手な主張なのです。

そうなると先ずは、家(身体)の本来の所有者(父)に全てを明け渡し、エゴはその権利を放棄することが必要ですし、返却するに当っては、いつのまにか溜まった雑物を整理し、これからの生活に必要なもの、不要なものを仕分ける作業も必要かも知れません。このように取りあえずの家の片付けを終えた後は、快く父を床の間に招き入れ、以後は父の教えに従う新しい生活を始める必要があります。

この身体までが”借り物”だとすれば、私達は本来、失うものは何もありません。全ては父からの賜り物ということになれば、私達は贈り主の意向に沿って、自分の身体を含め授けられたものを大切にし、活用することが私達の務めでもある訳です。


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