ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第08課 段落307 [2008-06-30]

307 One should not question what the consciousness has to reveal before the full revelation comes. And you should fear nothing - for that could cause you to lose the sequence of the lesson. For as we know the mind has been accustomed to fear that which it does not understand, and reject that which is unpleasant, due to the wrong teachings it has been subjected to. But we know that every manifestation fits into every other one, it must be so in order for the Cosmos to be complete. And when this is understood by the mind a beautiful unfoldment will come, each part of the puzzle falling into place to make a complete picture. And it will not reject anything.

307 完全な啓示が来る前に意識が明らかにしようとしていることに疑問を差し挟まないようにしなければなりません。また何物も恐れてはなりません。レッスンの一連の流れを失うことになるからです。私達がよく知っているように、心はこれまで服従させられて来た過った教えのせいで、理解しないものを恐れ、不愉快なものを拒絶することに馴れさせられて来ました。しかし、私達はあらゆる現れが他のもの一つ一つと調和することを知っていますので、それもまた宇宙にとって完全なものになる為には必要であるに違いないのです。そしてこのことを心が理解するや、美しい展開が明らかにされ、ジグソーパズルの各々の一片は完全な絵を作り上げる為の場所に収まることでしょう。そしてそれは何物をも拒絶することはないのです。





【解説】

「ジグソーパズル」の一片が一見したところ、どんなに奇妙で判断つかないように思えても、実際にあたはまると全体としての完璧な絵が出来上がります。それと同様に一つ一つの印象の欠片を感受したからと言って、直ちに判断せず、忍耐強く全体像が見えるようになるまで大切に記憶しておくことだと言っています。

とかく私達はその場その場で受けた印象を判断し裁き、綺麗・汚い、善・悪、良・不良とに区分し、各々の片方を自分に取り込み、他を排除しようとします。これは光景(視覚)や音(聴覚)、味(味覚)、香り(嗅覚)についても同様であり、各々対応する感覚の即断的な反応に由来しています。

そのような状況では、反応の結果、受け入れられないとしたものは、捨て去られ、全体像にはいつまで経っても至ることはできません。私達はやって来る印象のすべてをありのまま受け入れて、後日、どのようなものが与えられようとしているのか分かるまで、大切に保持している必要があると言っているのです。思慮深き神を信じることがその一歩です。


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