ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第08課 段落289 [2008-05-27]

289 On the return trip I became interested in the instruments as before. But then the mind was patient and ready to receive the explanation given it by the consciousness. It was not filled with the original curiosity, but a desire for knowledge. Like a child in a classroom who understands without questioning.

289 帰還の旅で私は前と同じようにその装置類に興味を持ちました。しかし、今度は心は忍耐強く意識によって与えられる説明を受け入れる用意が出来ていました。心は当初の好奇心によってではなく、知識を得たいとする願望によって満たされていたのです。勝手な疑問を差し挟むことなく理解する教室の子供のようにです。





【解説】

土星会議に向かう宇宙船の中で、自分の心が当初、初めて見る船内の珍しい装置類に好奇心が湧いたものの、先ずはその会議への自分の心の準備を優先させる必要性を自覚し、自分の好奇心を抑制した話は、以前述べられました。

それに対し、帰還の際にそれらの装置類に対し、今度はどのような心の変化があったかをここでは述べています。注目したいのは、その宇宙船内で誰かから詳しい説明を受けたとは言っていないことです。心が直接、意識から説明を受けたと言っている点です。つまり、心が興味本位の浮ついた姿勢を改め、真にその知識を得たいと願う時、心には必要な情報が与えられるということです。本課は意識との一体性について取扱う訳で、今後、より深い内容が語られるものと思われます。

ちなみに、自然の中で動植物の写真を撮影する時、先ずはその環境、雰囲気と自分とを調和させ、一体化するように心掛けた後、改めて周囲を観察します。そうする中で、多くの人達が見過ごしてしまう、素晴らしい世界に気付くようになるものです。カメラのファインダーを覗きながら、あたかも人間のモデルに対するかのように。虫や花に話し掛けながら、良いポーズをとってもらって、撮るのが、私の撮影のやり方です。対象物に向き合う中で、自ずとそのものの意義や美しさが感じ取れますし、その過程に言葉は必要ありません。


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