ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第07課 段落285 [2008-05-21]

285 When I succeeded in doing this my mind felt that a vast door has been opened to an unlimited vision. And I experienced a full comprehension of things that my mind had never heard before. It was a feeling of no limitation, and everyone, including the ship, seemed to be a part of me. The ship seemed to become a living thing and for the first time I understood how a Captain of an ocean liner feels when his ship is sinking. In many cases he sends the crew away but he stays with the ship. And should he leave the ship he keeps looking back until it is seen no more, and he feels that a part of him went down with the ship. And a part of him did go down with it which he can never forget, for its impressions were so intense. You see the ship's life was also the captains life as they had lived together so much that they became like two persons, each sharing the others feelings. One was the intelligence of the captain, the ship was the servant, and through this they became as one.

285 私がこのことに成功した時、私の心は何か巨大な扉が無限に続く視野へと開かれているように感じました。そして私はかつて私の心が聞いたことのない、ある完全な物事の理解というものを経験したのです。それは無限の感じであり、誰もが、その宇宙船も含めて私の一部のように思えました。宇宙船は生きているもののように見えましたし、はじめて私は大洋を渡る客船の船長がその船が沈む時にどのように感じるかを理解しました。多くの場合、船長はその船員を退避させますが、彼は船に留まります。また彼が船から退去するにしても、彼は見えなくなるまでその船を振り返って見ていることでしょう。そして、自分の一部が船といっしょに沈んだと感じます。そして彼の一部は実際、それと共に沈んで行き、彼はそれを忘れることは出来ません。その印象がそれほど強烈だったからです。お分かりのように、その船の生命はまたその船長の命でもありました。両者はそれほどに長い間共に暮らした為、二人の人物のようになり、互いに他が抱く印象を分かち合っていたからです。その二人とは一人は船長の知性であり、船はその召し使いでした。そしてこれを通じて二人は一体になっていたのです。





【解説】

ここでは真の一体感とはどのようなものであるかを説明しています。この例にあるように船と船長の間には、それが物質との間であっても、融合、一体感が生まれるということです。これは、カメラや車等、各自が大切にしている物についても言えることでしょう。物を大切にするという奥には、その物とも互いに分かり合える、つまり印象を交流できる関係になれるということです。

本当の意味での一体化とは、ここに述べられているように対象物と自分が何らの区別なく、互いに包み込まれ、自他の区別がない程の感覚になるということでしょう。この感覚は自然界の生物、無生物の間で、ごく普通に抱かれている感覚だとすれば、人間が気付かないだけで、あらゆるもの達が暗黙の内にも、穏やかで幸せな生命を享受していることが分かります。

各自の自我(エゴ)の心を鎮め、自分自身の意識に耳を傾け、そのアドバイスに従えば、このような世界が広がって来るということです。


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