ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第07課 段落252 [2008-03-28]

252 To illustrate this let us use a man who has lost the memory of who he is. We have read of these cases. Some are well to do, hold good positions and have a family. Yet when this man loses the memory of his identity he re-establishes life in another part of the country, marries, has a family and works as a common laborer. If recognized by a former acquaintance he denies that he is the party for he remembers nothing pertaining to his previous life. This means that the first personality is dead to the mind while the body still maintains the identity.

252 このことを例示する為、自身が誰であるかという記憶を失った人を用いることにしましょう。私達はこのような事例を読んだことがあります。ある人は物事がうまく行って、良い地位を得て、家族も持っていました。しかし、この人が自身の正体の記憶を失った後は、他の地方で生活を再建し、結婚して家族を持ち、通常の労働者として働きます。以前の知人に発見されても、彼自身、以前の生活に関することを何も思い出せない為、いっしょにいたことを否定します。このことは心にとって最初の人格性は死んでいる一方、その肉体は依然としてその正体を保持していることを意味します。





【解説】

多くの方にとってはこの事例は奇異に聞こえるかも知れません。私自身もまだ、こうしたケースを耳にしたことはありません。しかし、少し考えて見ると、人間の生まれ変わりについては、全くこの通りのことが一人一人に起っていることが分かります。アダムスキーは金星で亡妻メアリーが生まれ変わっていたことを金星旅行記で述べています。その中で、メアリーはアダムスキーに地球での体験はあえて思い出したくない旨の発言をしています。もちろん、過去の体験で役に立たないものは、キレイサッパリ忘れるべきです。問題は折角、本人が努力して培った素養が、もし過去に貯えられていたのであれば、記憶を甦らせられないばかりに、それを活用、発展させられないことです。

やはり、物事には蓄積が必要です。何事も一朝一夕には出来るものではありません。また、私達のこれまでのエゴに支配された日常生活においては成し遂げられる事柄も限られます。一生の間に、果たしてどれほどのことを為したかを各自考えればわかる筈です。

大事なこと、人生の転機になった体験、自分が掴んだ真理の断片はその人を造り上げていると言って良いでしょう。これらは何があっても忘れてはならない事柄なのです。宇宙意識の印象を感受し、ハットした時のこと、その時受けたイメージ等、古来より「悟り」と表現されて来た精神体験は、各自大切に記憶し、自身の中に保管すべき宝物だと言えるでしょう。


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