ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第06課 段落237 [2008-03-03]

237 In the prodigal son there was still one small part that accused itself of wrong doing which was symbolized by the son who had never left the household. For in every individual the original spark remains. That is the only hope for the straying one to be drawn back to his original place. So the small original spark reminded the prodigal son of his deeds. But this was soon overcome by Cosmic Consciousness for it knows no judgement or discrimination. But it takes a great determination to accomplish this victory and lose the self as an ego in the COSMIC SEA OF CONSCIOUSNESS.

237 放蕩息子の内部には家を出たことのない息子として象徴され、誤った行動を叱責した小さな部分が依然として存在します。各個人の中には原始のきらめきが残っているのです。道に迷った者にとってはそれが自分の起源に戻される為の唯一の希望でもあります。ですから小さな原始のきらめきがその放蕩息子に自分の行動を思い出させるのです。しかし、これは宇宙意識によって直ぐにも征服されてしまいます。何故なら宇宙意識は如何なる裁きも差別も知らないからです。しかし、意識の宇宙的大海の中でこの勝利を得て、エゴとしての自己を捨てることが出来る為には一大決心を必要としています。





【解説】

各自の中にわずかに存在する無垢の灯火、これが自己の過ちを指摘します。この存在の故に反省、自戒の機会が与えられます。以前、どこかで、「神は滅ぼす者をまず狂わせる」という主旨の言葉を聞いたことがあります。自省のない有頂天になった人間は、実際にはその人のエゴが自分の支配力を誇示している危険な兆候と言えます。かつて多くの戦争が為政者のこうした宣伝活動によって促進されましたし、時代の寵児ともてはやされる者もいつの日かボロが出て正体が判明するものです。

各自の中にいつも誤りを指摘する小さな声があることが、私達を意識の元に復帰させる原動力になっているということです。その意味では日常的にこの存在から素直に声を聞く態度が大切です。丁度、私達は自分勝手でやみくもに暴走する自動車のようなものです。運転するエゴは自分の車のフロントガラスが汚れて曇っているのをあたかも外の世界がそのような汚れたものであると勘違いして、恐怖のあまり不必要にエンジンを空回りさせて、どこかに車をぶつけて自動車(人体)をダメにしてしまうようなものです。この時、傍らにいて、小さな声で誤りを正し行くべき道を囁くのが本文で言う無垢の存在部分と思われます。

しかし、自らの殻を破り、一度、車を道の傍らに止めて、窓を開け、外を眺めれば、狭い車の中で悩んでいたことや道に迷っていたことなど、吹き飛んでしまいます。車の外は青空が広がり、穏やかで調和に満ちた別世界が広がっており、今まで暗い世界と思っていたのは、自分の眼、ガラスが長年の無謀な運転で汚れていたのが原因であったのです。

ひとたび、意識の存在に気付き、その中に融合することの素晴らしさを知れば、その者はもはや後戻りすることはなくなることでしょう。


第06課 段落236 [2008-02-29] <<  |  >> 第06課 段落238 [2008-03-04]