ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第06課 段落219 [2008-01-25]

219 Now let us observe how different types of thoughts manifest. If an angry thought enters the mind the facial expression changes to represent the anger. And if a happy thought is present it expresses, etc., etc. It is no different than a sculptor who molds out of clay a thought that he has in mind. So a thought whatever it may represent is like the sculptor for it molds the facial expression to represent itself. So we as intelligent beings desiring youthful, healthy, well proportioned bodies should always have that type of thought for it will mold the body according to its pattern. And a thought of newness especially along cosmic lines is important if the body is to maintain youthfulness.

219 それでは如何に様々な想念が体現するかを観察することにしましょう。もし怒りの想念が心に入り込むと、顔の表情は怒りを表わす為に変化します。また、楽しい想念が居合わせた場合にはそれはそれこれの表情を表わします。それは彫刻家が心の中で抱く想念を土からかたどるのと違いはありません。ですから想念がどのようなものを表わすにせよ、彫刻家のようなものです。それ自身を表現する顔の表情をかたどるからです。ですから若く、健康で良く調和した肉体を望む知性的存在である私達は常にその種の想念を持つ必要があります。何故なら想念はその想念パターンに従って肉体をかたどるからです。そして特に宇宙的分野に沿っての新規性ある想念は肉体が若さを保つ為には重要です。





【解説】

このように想念が人間の表情をはじめとして大きな影響を与えることは自分自身の例からも良く分かります。しかし、一歩下がって、人以外の自然界にある者はどうでしょうか。いつも感じることは野生動物達は決して世をはかなんだり、自暴自棄になったりせず、淡々と自らの環境を受け入れ、その環境の中で楽しんでいるということです。

池のコイは寒い季節はじっと池底で春の来る日を待っていますし、水が多少なりとも暖まれば餌を求めて動き回ります。彼らは自分達にあてがわれた池が狭いことや水が汚いと不平を訴えることはありません。また、網に捕獲され人の食用に切り裂かれる直前には、「まな板のコイ」として自らの運命を観念します。一方、昆虫の世界に目を置けば、多くの者が1年という短い生涯を過ごしますが、生きている時間が短いからといって、創造主に不平を言ったり前途を悲観して安易にクモの巣に身を投げ出したりはしません。例え最後は羽がボロボロになっても花の蜜を吸い、与えられた命を精一杯生きています。

このように考えると彼らの中に流れている想念は常に明るく楽しいもの、感謝に満ちたものであるように思われます。実際には人間以外の全ての創造物はそのような明るい想念を維持しており、一人人間だけが迷いの世界にうろついているということでしょう。

毎日昇る黄金色の太陽は、この太陽系の万物に等しく力強く生命を謳歌せよというメッセージを放っているように思います。ちなみにヨガの中には太陽礼拝のポーズというものがありますが、古代の人々が生命の象徴、命の再生の証しとして日の出の太陽を敬っていた気持がこの動作を行うことによってよく分かります。


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