ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第06課 段落218 [2008-01-24]

218 Let me clear the point of man being a thought. To create a form like that of man or any other, whatever is responsible for creating the form had to have a thought pattern of the form before it could be created. Man is a thinking being, for if he did not think he would not be what he is as thought is the motivating force of his being. He has to think before he can walk or eat and no matter what he does he has to have a thought as a director. And these thoughts come to him either as a combination of past experiences, associations with others, or as cosmic impressions.

218 人が想念であるという要点について明確にして置きましょう。人あるいは他のどのような物でも形を造り出す為には何者がその責務を担っているにせよ、それが創造される前にその形についての想念パターンを持たねばなりません。人は考える存在です。何故なら想念がその存在の原動力である故に、もし考えることをしなければ、人は自分が自分であることがなくなることでしょう。人は歩くにせよ、食べるにせよ、その前に考えなければなりませんし、如何なることをするにしても想念を指揮者にしなければなりません。そしてこれらの諸想念は過去の体験や他との結合として、あるいは宇宙的印象類としてその者のところにやって来ます。





【解説】

「人間は考える葦である」という言葉が伝えられている通り、何を考えるか、考えているかが本人を決めるということです。言い換えれば刻々、どのような想念を取り入れるか、どのような想念を発するかについては大変、重要な意味を持っていることを意味します。世間の常識では行動に移さなければどのような想念を抱こうと、罪に問われることはありません。どのような残虐なゲームでもそれが仮想の世界なら問題視されることはないのです。しかし、想念こそが自分自身であるということは、そのような想念を抱くことこそが大きな問題だと言わねばなりません。暴力が横行する社会、殺戮の争いが続く世界に現代の地球が進んでいるように思うのは私一人ばかりではないと思います。実は、その大きな背景の一つに映画やコンピューターゲーム等を通じて若者の心に野蛮な想念が吹き込まれていることがあると考えています。

ですから、日々の生活の中で、自分がどのような想念を取り込んでいるかについては、よほど注意しておかなければなりません。毎日、心に取り入れる想念こそがその人の人格を造り上げるからです。

同様なことは他の多くの賢人達も指摘しています。ウェイン・ダイヤーやジェームス・アレン等、人が抱く想念の重要性を繰り返し指摘しています。つまりは人間の価値はその肉体にあるのではなく、その抱く想念にあるということで、その想念を磨くことこそが大事だということです。


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