ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第05課 段落211 [2008-01-15]

211 This recalls an incident which happened to my wife Mary, who has since passed away, when she became lost at night fall in a jungle of high wild lilac which covered only a half acre of land. She became frightened and called for help, even though she was only about 500 yards from home. This is used only as an example to show how easily one can become lost in a jungle of self opinions which are contrary to cosmic purpose.

211 このことはずっと前に亡くなった私の妻メアリーに起こったある出来事を思い出させます。それは彼女がわずか半エーカーの土地を覆っていた野生の背の高いライラックのジャングルに夕暮れ、道に迷った時に起こりました。彼女は恐ろしくなって助けを呼んだのです。家からわずか500ヤード足らずの所に居たにもかかわらずにです。この事例は宇宙的目的に正反対な個人的意見というジャングルで人は如何に簡単に道に迷ってしまうかを示す例として用いているにすぎません。





【解説】

光に対する闇の意味合いは古くから迷いの象徴として言及されて来ました。確かに、あたりが暗い環境は私達の心に不安(恐怖)をもたらします。それほどに私達は目に頼った生活を送っている訳です。しかし、現実の物体は光にさらされていなくても(即ち目に見えなくても)、そこに存在します。事実、自分の体内の各器官は視覚を持たず、闇の中でも着実に所定の働きを続けています。丁度、無味無臭の空気を嗅いだ場合の感覚器官の反応と同様に、本来は視覚だけが「見えない」と指摘するだけの状況にも拘わらず、視覚への依存度が強い為に、主人公である本人全体を混乱に陥れているのです。

この例え話はそもそも、個人の意見の乱立から生じているとしています。様々な主義主張によって本来の太陽の光は地面に届いていないと言っているのです。言い換えれば様々な主張が乱立している為、それらが繁茂し本来の真理の光を覆っていることを意味しています。現代、世界各地で起っている宗教対立等もその例です。それゆえ、各自は少なくても自分の周囲についてはこれらの思想の木々を整理し、要・不要を明確にさせて、単純化した生き方を進めるべきでしょう。そうすれば、遠からず宇宙本来の意識の印象(光)が暗い足下を照らすことになるということです。


第05課 段落210 [2008-01-11] <<  |  >> 第05課 段落212 [2008-01-16]