ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第05課 段落207 [2008-01-08]

207 One must not be overly cautious in avoiding mistakes. For then he would be doing nothing - this has no value. The important thing is to realize and correct mistakes as soon as possible. For when one misses something that was meant for him, either by word or association, it sometimes takes years or even centuries to find it. I have known people who were searching for something all of their present life time. Sometimes they know what they are looking for and sometimes they don't. But they do know when they find it for the uncertain nervous feeling vanishes and they eminate a warm pleasant feeling and seem to enjoy everything that they do. They are not concerned with the future and seem content and happy to live from day to day. But they have a hunger to learn all that they can, and seek association with those whom they feel have what they want. This is usually a good indication that they are filling a gap - a something lost somewhere in life.

207 人は過ちを避ける為に過度に用心深くなってはなりません。何故なら、そうすることで彼は何もしなくなるからですし、これでは価値がありません。重要なことはできる限り速く過ちを自覚し修正することです。何故なら、人はその者にとって意味のある何かを失った場合、それが言葉によってか、あるいは人間関係によってかを問わず、それを見つけ出すには何年も、場合によっては何世紀もかかるからです。私はある人々が彼等の生涯の全てにおいて何かを探し続けているのを知っています。ある時は彼等は自分達が何を探しているかを知っていますが、わからないでいる場合もあります。しかし、彼等はそれを見つけるや否やそれがわかります。不安定で神経質な感じが消え失せ、暖かな楽しい感じが発せられますし、彼等が為すことすべてを楽しんでいるように見えるからです。彼等は未来には関心がなく、日々生きていることに幸せを感じています。しかし、彼等は学べるもの全てに渇望しており、彼等が求めるものを持っていると感じる者との繋がりを求めています。これは通常、彼等が人生の何処かで無くした何らかのすき間を埋めている良い兆候なのです。





【解説】

ここでは各自が求めているものの起源の中にはかつて自分が失ったものを穴埋めし、取り戻す為のものも含まれていると指摘しています。人によって求める分野は異なりますが、その本人の志向性には、場合によっては過去生にまで遡る理由がある場合もあると言っています。

もちろん、求道という側面もあるでしょうし、隠れた才能に気付き育てたいと願う気持もあるでしょう。しかし、強い本人の志向性には過去の人生ともかかわりのある要素も強いということでしょう。一度、しくじった学習テーマに再び巡り会うことは容易ではないと本文では言っています。ですから、できる限りその場で修正への行動をとるべきなのです。

また、「求めよ、さらば得られん」とされるように、求めていることはいつかは実現することでしょうが、本文に書かれている部分で特に大事なのは、”But they do know when they find it for the uncertain nervous feeling vanishes and they eminate a warm pleasant feeling and seem to enjoy everything that they do.”(しかし、彼等はそれを見つけるや否やそれがわかります。不安定で神経質な感じが消え失せ、暖かな楽しい感じが発せられますし、彼等が為すことすべてを楽しんでいるように見えるからです。)という感覚です。

何もあせる必要は無いのです。それが実現することをひたすら確信し、あとは意識の仕事として意識を信頼するという姿勢が大切だと考えています。これは自然界、一般に言えることで、今どきの季節(冬)にあっては、土や枯葉の下でじっと春の到来を待っている虫達や草花の芽がそれに当るのでは無いでしょうか。

一方、このような過ちについて最も心が痛む問題は人間同士の関係です。これまでにもUFO・アダムスキー問題には多くの人々が関与され、また去って行きました。私自身、当初熱心であった多くも方が、その後離れて行かれた事例を知っています。その原因の多くは、その時々の会の運営や人間関係、他人を利用した、しない等々、様々でした。原因はどうであれ、結果的にせっかく大切な知識に触れた方がもし、アダムスキーを離れてしまったとしたら、大変残念なことです。会の運営者としても大きな責任があると言えるでしょう。一度、離れた方を再び、引き戻すことは容易ではありません。ある種の拒絶反応から長期間にわたってこの問題への取組みを避けて通りやすいからです。そういう意味では、各グループ活動を主催されている方には、人並み以上の責任があり、常に誠実、柔和、オープンな姿勢が不可欠だと思っています。


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