ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第05課 段落206 [2008-01-07]

206 In the case of an uncorrected mistake against another, a mystery is created that may never be solved. And if it is done after a lapse of time the feeling will never be the same again. So there is a loss through the neglect of correction. And yet the correction even under these conditions is very important in order to carry on. For somewhere along the line the lost words or impressions will repeat themselves, even if for another reason, and he who has the knowledge can use these words to fill in the gap. It is no different than a window pane that will fit into a number of places.

206 ひとつの修正されない過ちに対して更に修正されない過ちが起る場合には、決して解決しない神秘が造り出されてしまいます。そしてもし、時間経過の後に為される場合には、その感じはもはや同じにはなりません。ですから修正を無視したことで損失が生まれるのです。しかもこれらの状況の中であっても修正はめげずに続けて行く為にはとても重要です。何故なら、その線に沿った何処かでその失った言葉や印象類は、他の理由からであっても再現するでしょうし、その知識をもつ者はそのすき間を埋める為これらの言葉を用いることができるからです。それは数多くの場所に当てはまる窓ガラスと何ら変わるものではありません。







【解説】

「過ち」、即ち「失敗」への対処が重要であるとこれまで述べられて来ました。しかし、実際に失敗した当座は、思うように行かなかった原因を他人のせいにして憤まんをぶつける、或いは自分の能力の不甲斐無さを悲嘆するものです。本文で言う「修正」という行動には容易に移れないのが実状です。また、いやな結果を忘れようと気晴らしに向かうことも多いものです。

しかし、アダムスキーは厳しくも、その十分な記憶がある内に修正することが大事だと言っています。そうしないと再び、そのテーマを学びとることが難しいと言っているのです。

一般に、自らの誤りを認めることには勇気が必要です。他人に対する自分のプライドがそれを阻むでしょう。また、私達が結果が全てだと思い込んでいることも、わずか1回の不成功で自分の努力や意志が無駄になったと感じてしまうことも背景にあります。また、特に他人に対する過ち(過失)については、再びその問題に直面することなく、むしろ避けて通りたいものですが、そうした場合、その関連は自分が通りたくない道として断絶(ギャップ)を自ら設定しているようなものとなり、今後の人生を狭くすることにもなるということです。

私も数少ない経験ですが、何度かトライする内に難しいとされていたハードルも越えることができるようになったケースもあります。後から考えて、成功した時の自分の心の状況、印象への対処行動等、成功の背後には思い当たるポイントもある訳で、この成功体験を大事にして、次回に繋げられればと考えています。


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