ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第05課 段落190 [2007-12-12]

190 Jesus for one tried to explain the fourth dimension, but even today his teachings are not understood. As a result the fourth dimension has been placed in the abstract side of life with the hope that it will be understood in the here-after. But how could one ever understand if he did not have some comprehension of it here? One must learn the next step to be taken before he can understand the reason for it.

190 一例として言えば、イエスはこの四次元を説明しようと努力しましたが、今日になってもその教えは理解されていません。その結果、四次元は今後理解されるだろうとする希望と共に生命の抽象的な側に置かれて来てしまいました。しかし、人がそれを今ここで何らかの会得をしない限り、これから先どのようにして理解できるというのでしょうか。人は進むべき次の一歩を学んだ後にその理由を理解することが出来ることを学ばなければなりません。





【解説】

アダムスキーは本講座も含め、様々な所で原因と結果を同時に見るようにと言っています。ここでは原因、即ち四次元世界を私達は日常、切り離していることの問題点を指摘しています。哲学や宗教の学習においてよく見かけるのは、その高次な学習を行っている時は気分は高揚するのですが、一方、現実の生活に戻ればそれは一時の心のリラックスでしかなくなっていることです。それでもそういう時間を持つこと自体、貴重と言うことは出来ます。しかし、その結果、教わった内容は各自の隅に追いやられ、個人の勝手な概念の中に閉じ込められています。

しかし、このような実生活に伴わない学習は長年月を費やしても本道の道にはなかなか到達できません。何より、現実生活の場面において、本人が本稿で言う四次元、即ち宇宙普遍の意識世界を自覚し認識することが大切だと言っているのです。それを実行するには、ある意味、理解できるまでその場に立ち止まる程の決意も必要でしょう。一方では、その四次元世界は私達自身を常に取り囲んでいる訳で、四次元を理解出来ないということは自分が毎秒呼吸している空気を認識できないような情けないことなのかと思います。

かつて多くの教師達が地球に降り立ちましたが、イエスもその一人。当時の民衆にこの真理を伝えてくれたお方と聞いています。この講座も単に頭で読むばかりでは効果はありません。自分自身の心を訓練、教育してひとつひとつ気が付いた小さなことを実生活に応用することによって思わぬ効果を上げるものと期待されます。植物や動物達が日々の生活を謳歌するごとく、その応用にこそ力を注ぐべきなのです。


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