ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第04課 段落177 [2007-11-21]

177 This is where duality sometimes comes in. For you may love someone dearly and yet you do injury to them. This conflict is caused by memory cells of a lower nature, and those of a higher nature. If we knew something about our self we would combine these memories in relation to each other instead of the extremes with nothing between to support either of them. This lack of understanding is the cause of mysteries and misunderstandings. And when we hurt anyone we hurt ourself for we are all the same. We do this because our mind has not been trained to act as a good catalysis. This can only be done when the mind knows the reason for life.

177 ここが二重性が入り込む所以です。何故ならあなたは誰かを愛おしく愛しているかも知れませんが、それでもあなたはそれらを傷つけるかも知れません。この矛盾は低次な記憶細胞と高次な記憶細胞とによって引き起こされているのです。もし私達が私達自身についてなにがしかを知っていれば、私達はこれらの記憶を相互に補完することなく極端に走ることを止めて互いに関連づけてこれらの記憶を統合させることでしょう。この理解不足こそが神秘と誤解の原因なのです。また、私達が誰かを傷つける時は私達は自らをも傷つけることになります。何故なら私達はすべて同じ存在だからです。私達の心が良い触媒として行動するよう訓練を受けていないが故に私達はこのようなことを起こしているのです。その心の行動は心が生きて行くことの理由を知るようになる時にはじめて実現することになります。





【解説】

アダムスキーは、かつて私的な会合で「人は誰でも殺人者の体験を持っているものだ」という趣旨の発言をしています。その意味は本文で述べられているように、人体の細胞が記憶として運んでいるものの中には低次なものも多いということでしょう。また現実世界では紛争地帯では今も互いに殺しあいを行っていることや私達の日常の近くでも殺人事件や傷害事件が起っていることに注意する必要があります。当事者になった場合には本人の全身の細胞がその体験を等しく記憶する筈です。また、映画やその他の娯楽についても、私達は疑似体験をさせられているというのが実体であり、社会の風潮を改善する為には、より高度な文化、芸術の普及を図る必要があります。

一方、人は生きて行く上で、他の生き物を奪って、これをあやめ自らの身体の維持に利用しています。それは生物としての大きな自然の食物連鎖の一つとして考えれば、創造主の意図に従った姿であると言うことが出来ます。しかし、これらの循環の中では本来、最高位の創造物である人間としては自らの中にあるこれらの獣性を神性に調和させ、本来の役割を果たすことが求められています。


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