ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第04課 段落176 [2007-11-20]

176 It seems cruel to us to see a big fish swallow another, but it is just as cruel to see a man eat a carrot. For it is a living thing made of molecules just as you or I, or the fish. And the memory carriers do have records of all phases of life, from what we might call the cruelest to the highest.

176 大きな魚が他の魚を飲み込むのを見ると残酷に思えますが、それは人間が人参をかじるのを見て残酷と思うのと同じです。何故ならそれはあなたや私、或いは魚と同じ分子群からなる生き物であるからです。そしてその記憶を運び手は私達が最も残酷と呼ぶものから最高位のものまでの生命のあらゆる側面の記録を持っているのです。





【解説】

確かに蛇が蛙を飲み込む姿を見ることは、私達の心にとっては心地よいものではないかも知れません。一方、人間社会の中では、これらの残酷に見える部分は巧妙に隠されています。例えば、きらびやかな照明の下、雰囲気のある生演奏が流れる中で著名な三ツ星レストランで高級な肉料理を戴く場面等、私達にとって上等とされる生活の中ではこれら自然界の残酷な光景は表に出て来ません。しかし少し考えれば、牧場で肉牛として飼育され、成長した牛が、食肉市場に送られ、屠畜され肉が取り出されてレストランに供給されるシステムがあるからこそ、私達は肉料理を味わうことができる訳です。また、関連して言えば、靴や鞄等、身の回りで愛用されている革製品もこれらの過程で原材料が提供されます。

このように私達が生命を維持し、生活して行く為に、他の多くの生物を犠牲にしている訳です。私達が生きて行く為に犠牲となったもの全てに対して、日頃から慰めと感謝の念を忘れる訳には行かないのです。また、目に美しい物、耳に優しい物、舌を喜ばせる物だけを追求することは、心(感覚)にとって理解できない都合の悪い事柄に目をそむける姿勢でしかなく、生命の実態を直視し、理解しようとする態度ではないことに注意が必要です。


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