ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第04課 段落175 [2007-11-19]

175 If we are to know what we feel that we should - who we are - and what we have been, then we must use the same method that they have used. There is one thing that we must remember, we cannot judge and divide and discriminate, or resent, according to likes and dislikes and have this knowledge. For once you get impressions coming from the memory buds there will be all kinds. And some you will have a tendency to dislike or even be frightened by them. For remember here on earth there are very low stages of life's manifestation that the ego might not like. But without these manifestations life would not be complete, for all phases are necessary. But once they are understood the judgement against them ceases. Like a drama on the stage where cruelty is resented, yet without it the phases of life would not be truly expressed.

175 もし私達が知るべきだと感じている私達が誰で、また何であったかを知る為には彼等が用いて来たのと同じ方法を用いなければなりません。ここで覚えておかなければならないことは、私達はこの知識を持った上で、好き嫌いによって裁いたり、分割したり、差別したり、腹をたててはならないということです。何故なら、ひとたび記憶の芽からやって来る印象類を捕捉するや、あらゆる種類のものがやって来ます。そしてあるものについては、あなたは嫌う傾向になるでしょうし、恐怖すら覚えることでしょう。何故なら、地球ではエゴが好まないようなとても低い段階の生命の現れがあるからです。しかし、これらの現れが無くては生命は完全にはなりません。全ての側面が必要なのです。しかし、一度それらが理解されれば、それらに対する裁きの気持は消えてしまいます。残忍さに憤りが湧く舞台の上の劇のように、それがなければ生命の側面が真に現されているとは言えないのです。





【解説】

知覚力や感受性が高まること自体は私達が目指している方向です。しかし、本人が十分、その能力に対する備えがなくては危険でさえあるということです。当然に感受性が鋭敏になれば、この地上の惨澹たる歴史から残っている多くの苦しみや憎しみの想念波動にも同調してしまうかも知れません。その時、それらの印象に対して哀れみや慰めの気持で接することが大切であり、誤っても怖がったり、拒んだりすべきではありません。能力が高まるにつれて、本人自身の人格の向上も必要になるということです。ですから、この講座を単に、能力を高める為だけに学ぼうとするのは誤りです。地球上で行われて来たたくさんの悲しい歴史を直視し、また自然界でも日常的に起っている一見残忍な事柄についても正視する気構えが必要です。最下層の段階から最上層の領域まで余す所なく含めて見届ける必要性を本文では述べているのです。


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