ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第03課 段落118 [2007-08-07]

118 As you can now see, man or his mind is in the process of creation, working towards a perfect manifestation by learning. And time is not involved, for there is no time in Eternity. So it then behoves us to study the various phases of creation that we may learn its reason for being. Then we will not judge our Creator, as we have in the past through lack of knowledge. For truthfully no man can judge his Creator or any of His creation. When man makes a thorough study of Life's purpose, understanding replaces judgment. For then man as the highest expression, becomes one with his Creator. And his intelligence is in line with the Creator's intelligence.

118 今やおわかりのように、人、すなわち人の心は学習を通じて完全なる創造の現出に向かって努力している創造の過程にあります。そして時間は関係ありません、永遠には時間が無いからです。ですから私達がその存在の理由を学ぶことが出来るよう、様々な創造の段階を学ぶことは私達にとっての義務なのです。そうすれば、かつては知識の不足から行って来ましたが、私達は私達の創造主を裁くことはしなくなるでしょう。何故なら、本当に人は自分の神や神の如何なる創造物をも裁くことは出来ないのです。人が生命の目的を徹底して研究する時、理解が裁きに置き換わります。そうなれば、人は最高位の表現者としてその創造主と一体になるのです。そしてその知性は創造主の知性と一致します。





【解説】

私達は言うなれば、本来備わっている知識、優れた能力について教えられることがない為、既存の体制の中で作り上げられた結果の世界の中で、次第にその備わった生命感覚が失われて行きます。果たしてどれだけの人が人生の最終日に「自分は自分の人生の目的を精一杯果たして来た」と言って、安らかに臨終の時を迎えられるのでしょうか。

しかし、生まれでる赤子には本来、託されているその生命の目的がある筈です。動植物が自然界で各々の役割を持っており、相互に競い合いながらも互いに補完しあう連携した活動を行っていることを考えれば、それらよりもの能力があり、技量も格段に高い人間が、自らの目的を知らぬまま人生を終わるということは、本来あってはならないことです。本文では各自に「a thorough study of Life's purpose(生命の目的について徹底した研究)」をするように促しています。自分の目的は他人に教えてもらう訳にはいきません。第3課の後半に至ったこの時期に、腰を落ち着けて自ら探究することが望まれているのです。

日本国内には多くの著名な仏像が現存します。その仏像は建立以来何百年が過ぎており、作者に建立にあたっての意図を直接伺うことはできません。しかし、脈々とその仏像が慕われ、大切に保存されている中で、後世の私達はその像をよく観ることで、仏像に寄せた作者の意図を推し量ることができることでしょう。まして私達各人は現在、生きている訳でその存在の目的は自らの責任で、突き詰める必要があります。自己を通じて刻々現れる生命活動をよく観察して、自己の真の目的について知ろうとする気持が大切です。


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