ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第03課 段落117 [2007-08-06]

117 Instead of gathering all form life into the sea of consciousness we have divided and separated, and this is why we cannot see God's life manifesting through us and all form life, as our space brothers do. For when they look upon a form, be it of man or any other expression, they do not see just the form, they see the consciousness that supports the form. This is seeing the Creator expressing through the form when the THY WILL and not the mind will is done. Their world and all life on it are conscious manifestations of the Creator, and are so honored.

117 すべての形有る生命を意識の海の中に集めることをせず、私達はそれらを分割し分離して来ましたが、これが私達の宇宙兄弟達がしているように私達やすべての形有る生命を通じて神の命を見ることができない理由です。何故なら、彼等が形有るものを見る時、それが人間であれ、他のどのような表現物であれ、彼等は単に形だけを見ることはなく、彼等はその形有るものを支えている意識を見るのです。これが心の意志でなく汝の意志が行われている時、形あるものを通じて創造主を見ているということです。それらの世界とそれの上に成り立つすべての生命は創造主の意識の現出であり、そのように栄誉を受けているのです。





【解説】

自然を観察することを何度も本文を通じて勧められて来ました。自然界の動植物の観察を通じて確かにそれらがひたすら活動しており、何らの悩みも無いばかりか全体として調和した一連の自然の循環の中にあることを確かめることができます。

一方、私達はその自然観察も往々にして植物の名前であるとか、昆虫の種類の呼び名を覚えることに片寄りがちです。確かに一つの分類名がわかればその種の特徴を記した図鑑等からだいたいの知識が得られますし、そのことによってその種については「わかった」「知っている」としがちです。しかし、本文ではこのような従来からの分類学の手法は誤っていると言っているのです。つまり、私達はその相手の外見上の形態だけに捕われて、その内面にある生命の本体、意識には無関心になっていることの問題を指摘しているのです。

以前、ある絶滅危惧種の渡り鳥(コアジサシ)の保護活動をお手伝いしたことがありますが、その時、鳥の観察を通じてまじまじと思ったのは、この鳥達は皆同じ顔をしているように思えたことです。このことはある意味、当然なことで、分類学が成立するように多くの生物種はその種の中では極めて類似した顔かたちをしている訳です。そこで思ったのは彼等はどうやって相手を識別するのだろうかということと、人間に写し代えた場合、各自が皆同じ容姿を持ったとしたらどうなるだろうかということです。もちろん、その場合は各自は益々、自分の内面性を磨くことになることでしょう。つまり、鳥達は外見でなく、内面を見通して自分の相方を見分けているのだと思います。

とかく私達は外見で人や物の価値を判断しがちです。しかし、このような形態の違いはそれを支える宇宙生命の大きさに比べれば、大した違いでは無いのです。生命の根源にある分子群であるDNAの違いもごくわずかだと聞いています。私達は自然を観る時、植物や動物等に関わらず、すべて同一の生命体の現れ、同胞として接し、各個体と交流が出来るように寛容の心を向けることが大切だということです。


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