108 Perhaps you feel that I use the word consciousness a great deal and place emphasis on it. And you may wonder, why? It is because the consciousness has been neglected through the ages while the mind has been exalted. And did Jesus not say that we are the Temples of the Living God? It could be said in this way, know yea not that yea are the embodiment of the living consciousness?
108 おそらく、貴方は私が意識という言葉を大変多く使用し、それに力点を置いているとお思いになるでしょう。そして何故だと思うかも知れません。それは何世代にわたり心が増長して来た一方で、意識は無視されて来たからなのです。そしてイエスは私達は生ける神の社であると言わなかったでしょうか? それはまたこのように言うことが出来ます。貴方は自分が生ける意識を体現したものであることを知らないのかと。
【解説】
「意識」という表現は、アダムスキーが特別な意図を持って表現した言葉と考えられます。ある意味、人間、否、そればかりでなく、ありとあらゆる創造物に宿っている、より深い目覚め、感性、知覚その他の認識を示しています。実際に各自の内なる存在の中に表層的な自我(エゴ)とは別の、根源的で創造主につながっていて、各自の様々な機能を司っているものを「意識」と表現しているのです。また、この「意識」なるものは、私達が通常、使用する「意識」、例えば「○○を意識して」(即ち○○の所に自分の感性を置きながら)、あるいは急病人が倒れて「患者の意識はあるか」(即ち、患者が覚醒しており、精神あるいは感覚の基本的機能が無事かどうか)という時に用いる場合と極めて類似した要素があると考えられます。
古来より、創造の真理は不変ですし、「意識」についても昔から存在していた訳で、多くの哲学者や宗教家がこの意識について、各々の時代や言語で語って来ました。科学が進化し、生命活動の仕組みが次第に明らかにされて来る中で、今日、私達は再度、原点に帰って、生けるもの、とりわけ自己の内部で「意識」がどのような活動を行い、私達の自我とどのように関わっているのかを深く観察することが重要となって来ました。他の自然が創造主の指導に従っているのに対して人間だけがその光明を見出せないでいるからです。
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