ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落053 [2007-05-05]

053 The pride of the sense mind may find the process painful, but the sense man must learn by experience. And to do this he must school the senses to respect one another. For as it is now they have no respect and as a result a person has no respect for his being. Thereby he has no respect for others, except those who please one or another sense.

053 感覚心(sense mind)のプライドはその過程に苦痛を見い出すかも知れませんが、感覚人は経験によって学ばなければなりません。そしてこれを成すには、各感覚を互いに尊敬しあうよう訓練しなければなりません。何故なら、現在そうであるように、それらには尊敬感が無く、その結果、人は自分の存在に尊敬感を持っていないからです。それ故に、人はいずれかの感覚を喜ばせるもの以外に他に対して尊敬感が無いのです。





【解説】

人間のプライドほどに問題を長引かせ、大きくしている要素はないように思われます。日本流に言えば「面子(めんつ)」がこのニュアンスに該当するでしょう。端的に言えば「他者に対して高い地位にある者が低い地位の者に頭を下げるなど、出来る訳がない」、「自分より下の者に教えを請うまねは出来ない」等という苦痛の感情は、皆、この心が持つプライドに由来しています。

このように、プライドをまず捨てることが必要になりますが、実際にはどのようにしたら捨てられるのでしょうか。そこに、自分以外の全ての者に対する等しい尊敬感が必須の要素となります。人の地位や名誉に関係無く、動物や植物、その他ありとあらゆる万物にも等しく、その存在に敬意を示す気持です。そうすることで、自分と接する方々に対しておのずと受け入れる態勢も生まれ、やがてはトラブルの解決にも繋がることにもなります。

まして、自分の各感覚については、互いに好き嫌いを言わせないよう、他者を受け入れ、敬う姿勢を貫き通すよう日頃の訓練が大切です。うわべだけの、刹那的な感覚の喜びや他人の評価等は空しい限りです。ともに永続することはありません。私達は、そのような無常な物を追い求めているのではありません。感覚の領分を超えた英知の世界を探究する覚悟を持って、自らの幼子である感覚心を訓練して行くことが必要です。


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