ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落049 [2007-04-30]

049 The most predominant individual is sight. The next predominant one is hearing. Then taste and smell. You may say here, what about touch? The touch could be called a nerve impulse reaction which is not a sense, but it gives a sense reaction to the mind. As each sense acts independent of the others, oftimes one will disagree with the others. i.e. The sight may perceive a beautiful flower but the aroma is very unpleasant to the sense of smell and it rejects it. So the unity of mind is already divided. The same is true with the other senses, for one may like something and another dislike it. And while this is taking place, as it has for ages, pain and an unpleasant existence is the result.

049 その内、最も支配的な者は視覚です。次ぎに支配的なのは聴覚です。次に味覚と嗅覚になります。あなたはここで、触覚についてはどうしたのかと言うかも知れません。触覚は感覚ではなく、一つの神経パルスの反応と呼ばれるようなものですが、心には感覚のような反応を起こさせるのです。各々の感覚が他と独立して行動する為に、時として一つの感覚が他と意見を相違することが起ります。即ち、視覚は美しい花を認識するでしょうが、その臭いが嗅覚にとっては大変不快であれば、嗅覚はそれを拒絶します。ですから、心の一体性は既に分断されているのです。他の感覚についても同様です。何故なら、ある感覚が何かを好ましく思っても、もう一方がそれを嫌うかも知れないからです。そしてこのことが起っている間、その結果として何世代にわたって、苦痛と不快が存在して来たのです。



【解説】

私達の「心」なるものは視覚、聴覚、味覚それに嗅覚の4名の人物に分けられるのだとしています。言い換えれば人間の持つこれら4つの感覚が私達の「心」を構成しているというのです。更にこれらは互いに独立しているとしています。丁度、前節(047)では心を感光板に例えられていましたが、それらがCCDの場合は3原色の受光器でありましたが、心はこれら4種の各々独立した感覚から構成されているとしています。もちろん、これらの独立性は受光器(感覚)としては大変重要な要素であり、正しい色調を出す為には各々の受持ち波長に特化した機能が必要となります。心における4つの感覚についても視覚は視覚として人間に必要な情報を、聴覚は聴覚としての役割を果して行くことが必要です。

本文ではその各々がもともと独自の判断(裁き)を行って来た為、4つの感覚の間で意見が対立することがあり、それが心の混乱をもたらし、ひいては長年月の間、人間を苦しめて来た元凶であると指摘しています。

実際には私達の日々の生活の中で心がこれらの4つの感覚から出来上がっていることすら、現代の私達は静かに自らの心を見るゆとりは無いかも知れません。それほどに心自体も高度化し、大きな流れの中に流され行く毎日を送っているのです。しかし、ここで最低限言えることは、「美しい」-「醜い」、「美味しい」-「まずい」という分かりやすい分類の背景には、私達の視覚や味覚の反応が現れているということです。現代はこれら感覚にとって好ましいものを商品として販売し、利益を上げる風潮がありますが、そうした表面的な感覚ばかりを大切にする(感覚が喜ぶものを追い求める)と、物事の本質を忘れる危険性があります。

美味しいから食べる、美しいから自分のものにしたいとするような表層的な「感覚主義」は道を誤る原因となることに注意しなければなりません。




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