ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落044 [2007-04-24]

044 So the first thing a student of life should do is to cultivate the ever present awareness of Cause and Effect. Where not only the mind will see the form as it has in the past, but also it will permit the consciousness to reveal the invisible supporter of the form. It will be like driving a car with full awareness of all of its working parts which produces the power, that the sight does not see.

044 ですから、生命の探究者は原因と結果に関する常時の警戒感を養うことを最初にしなければなりません。心がこれまでそうであったように形を見る他に、意識が形有るものの目に見えない後ろだてを明かすことを容認させることです。それは自動車を視覚では見えないその動力をつくり出す作動部品の全てを完全に意識しながら運転することに似ています。





【解説】

ここ(第1課)でのポイントは、私達学習者が最初に取組むべきことは、因なるものと結果なるものに対する同時的でかつ、不断の気付き(警戒)であると言っています。そのような心の状態を養う("cultivate",耕す)ことによって、これまで通り心が姿形を見ると同時に、意識はその形を支えている内実を印象によって心に伝えます。その結果、私達は因なるものと結果なるものを同時に認識することが出来ると言うのです。

一つのものを見てもそれを支える目に見えない存在に気付くことは、物事の本質を見抜くことであり、身の回りの出来事や事物が実は、壮大な宇宙意識の作用で成り立っている現実に気付くことでもあります。

長い時代を通じて、私達は何度となく文明を破滅させて来ており、現在の文明も多くの戦いや苦難の積み重ねが続いています。しかし、大自然、大宇宙を見るとそこには生命のstruggle(戦い)はあるにせよ、細部にわたり調和した姿があります。その違いは意識なる各々の存在の拠り所を不断に認識し、自らの価値をその意識に向けているかどうかにかかっていると言えるかも知れません。

確かに滅びに至る道は数多いと言わざるを得ません。物欲に走ることばかりが誤った脇道とは限りません。私達の認識力、知覚力には限界がある以上、心の探究、創造主へ求道の道程にあっても、自身の心の発達段階を越えて余りに先を急ぐと、神秘主義や教条主義に陥り、道を外すことにもなりかねません。そこで地に足をつけて身の回りの自然観察、事物の背景分析を通じて、結果と原因を一体として観察することが大切になります。こうすれば、事物に対する理解力も少しずつ深まり、着実な学習を続けられることになります。


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