ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落031 [2007-04-09]

031 Now we must school ourselves to see the cause and the effect manifesting as One when we look at an effect. Form, we recognize with our physical sight as an effect to an effect. The mind must become aware of cause through consciousness. The moment that your eyes glance upon a form the consciousness will give the mind an impression of the life within the form. And you become single minded, as Jesus said man should be.

031 そこで、私達は一つの結果を見る時は、原因と結果が一体となって現れていることを見るように自分自身を訓練しなければなりません。私達は形あるものを自分の肉眼という結果に対して一つの結果として認識します。しかし、心は意識を通じて因について気付くようにならなくてはなりません。一つの形有るものをあなたの目が一瞥した瞬間、意識は形有るものの内部にある生命の印象を心に与えるでしょう。そのようにして、あなたはイエスが人はそうあるべきと言ったように二心の無い状態になるのです。



【解説】

如何なる物を見る時も、私達はその物をもたらした原因と現れた結果を一体のものとして見るように自分自身を「訓練せよ」と言っています。この場合、「訓練」としていますが、原文では"school"(教育する、調教する、学校で学ぶように自分を成長させる)となっており、やみくもな(体力まかせの)苦行ではありません。もっと穏やかな学習課程を想定していることに注意したいと思います。

さて、これまで再三、述べられて来たように、事物を見た際にその背後にある(因なる)要素にも同時に気付き、それらが一体となっていることを認識するようにと言っています。これを日常生活に応用し、日々の生活を学校のように見なして、個々人が自らの責任において成長して行くことが求められています。

おそらく、その成果が最もよく現れるのは芸術の分野かも知れません。例えば写真。皆が同じものを見ていても、また、同じ道具(カメラ)を持っていても、写真家と一般の人とでは、その作品には大きな差が出るものです。この違いは何処にあるのでしょうか。写真家は、対象の中に秘められた美しさを発見し、それをカメラの視野に表現しようとします。自分が感動したものをもっと率直に他人に分かるように切り取って端的に表現しようとしているのです。人に感動を与えるのが芸術だとすれば、まず、自分が人に分かち与えるまでの感動(印象)を得ることが必要です。「心一つになる」(二心の無い)と本文にありますが、万物の背後にあってそれを支えているもの、その相手こそ、万物を創造している創造主の心であることに気付くことができれば、私達の日常生活は素晴らしいものに一変することでしょう。


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