ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落028 [2007-04-06]

028 So we must first -- condition the mind which is made up of the senses to not accept the effects as the ultimate answer as it has been doing. But patiently analyze the reason for the effect before coming to any conclusion. It should not make any difference whether it be a personal effect related to one's self, or another person or form of life.

028 ですから、私達は最初に、過去にやって来たように結果を最終的な答として受け入れることの無いよう、諸感覚から成り立っている心を慣らさなければなりません。代わって、何らかの結論に到達する前にその結果に対する理由を忍耐強く分析することです。それには御自身の個人的な結果であろうと他の人の或いは他の生命体についてであろうと何ら違いは無いはずです。



【解説】

前項(026)で述べられているように、私達の心は学習課程にある訳ですが、具体的にはどのような姿勢で望んだら良いのかをここでは明確にしています。つまり、当面、私達にとっては目の前にある結果の世界しか目に入らない(認識できない)のですが、その背景にある(それを支えている、或いはその原因となっている)様々な要素に気付くように努力せよと言っています。

とかく私達は結論を急ぎがちです。私達の心は「好き嫌い」や「善し悪し」等の判断(裁き)を半ば自動的に下し、世の中全てを自分中心に見て来ました。そこで必要となるのは心の訓練です。原文では"condition"(訓練する、慣らす)となっています。自らの心を事物の原因(それに至った要因)について知ろうと仕向けるようにと言っています。これらの思考パターンを繰り返し訓練することによって、私達の知覚能力は高められることを示唆しているのです。

また、ここで必要となるのは、心の動きを客観的に見ることではないでしょうか。自分の心の動きを見るためには、騒がしい現象世界にあっても、丁度鏡のように静かな水面がわずかな波紋にも反応するように、心が微妙な印象をも感じ取る鋭敏さを備える必要があります。こうした因に対する絶えざる探究心と感受性を日々の生活の中で育成することが必要だと言うことです。心の習慣を変えることは容易ではないのですが、浮ついた心を落ち着かせ、事物の背後を支えている因なる要素へ自らの関心を高める努力を忍耐強く続ければ、成果が出ることに間違いはありません。


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