ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落020 [2007-03-29]

020 We of today have a greater responsibility for we have more to compete with and more temptations than those who lived in the earlier days. So a greater alertness and determination is required if we are to understand and fulfill the purpose for which we were born.

020 今日の私達はより大きな責任を有しています。私達には昔の時代より多くの競争があり、多くの誘惑があるからです。ですから、私達が生まれて来た目的を理解し成就するには、より大きな警戒状態と決意が必要とされるのです。



【解説】

ここでは、昔の人々の素直さ、純粋さについて述べておきましょう。

今から約410年前、1597年2月5日、長崎で殉教したキリスト教徒26人(10人の日本人を含む)に関する記録が現存し、日本でも出版されています(「日本二十六聖人殉教記」ルイス・フロイス著、結城了悟訳、聖母の騎士社1997年発行。当時日本に滞在していた宣教師ルイス・フロイスが記述し本国に報告した記録)。

それによれば、キリスト教が日本に伝えられた当時、日本では大名をはじめ、庶民に至るまで数多くの人々がキリスト教に入信しています。その後、豊臣秀吉の禁教政策により、キリシタン弾圧が始まる訳ですが、その最初がこの長崎における26名の殉教事件でした。この本によれば、時の権力者(秀吉)が全国に君臨し、人の生死を意のままにする絶対的な権力者であったことがよく分かります。またその中で報告されていたキリスト教徒は実に心が素直で、信仰を受け入れています。当時の庶民の生活は今日とは比べようもないほど、貧しいものであっことでしょう。庶民の生活の中では、過度な競争も無く、互いに助け合うような誰もが貧しく質素な生活があった故に、素朴さ生まれたものと思われます。科学の発展も無い中で、人々は全てを自分の感性で受け止め、何が真実かを見極める必要がありました。そして、その判断が、時の権力者の意向に沿わないものであれば、命を賭けて自身の信念を貫くこともいとわなかったと言えるでしょう。

一方、科学が発展し、民主主義国家の今日においては、権力者は様々な目に見えにくい手法で、民衆をコントロールしようしています。また、人々の実生活は、互いを利用して富を肥やすことを目指してしのぎを削っている毎日と言えるでしょう。その中で、今日、人間一人ひとりが生まれて来た本来の意義を達成するためには、更に慎重な判断と実行力が必要だと言っているのです。


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