ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落019 [2007-03-29]

019 Even Jesus had to go through many unpleasant experiences and made a mistake when he drove the money changers from the Temple. For he taught, judge not. But when he realized his mistake he knelt in front of the Temple and asked his Father for forgiveness.

019 イエスでさえ多くの不快な体験を経なければなりませんでしたし、あの寺院から両替商を追い出した時は過ちを犯しました。何故なら、彼は裁くなと教えていたからです。しかし、過ちに気付いた時、彼はその寺院の正面にひざまずいて彼の父に許しを請うたのでした。



【解説】

人の成長の過程に誤ちは多いものです。また、不本意な結果に終わることもしばしばでしょう。一方的な見方で相手を判断し、行動した結果、行き過ぎた行為となってしまうこともあるでしょう。

良いものがよく分かり、世の中の悪しきものの本質が見えて来ると、とかく世間を批判し、正そうとする行動になります。

しかし、大部分の人々が地上のどうしようもない世の中で生きて行かざるを得ないのも、この星の現実です。問題はこのように苦しんでいる人々に、いかに宇宙に充ちている生命の息吹きに気付かせ、本来の安らぎを提供するかにある筈です。

行動を起さなければ何も進展しないということも確かですが、その行動は他者への哀れみやあたたかさに根ざしたものであることが必要なのです。自然界の営みが一見、無言であっても、全てが絶妙に調和して結果としては全く破壊の要素が見られないことにも留意したいものです。


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