ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第01課 段落009 [2007-03-18]

009 We must follow this same procedure of study in order to know nature and thus be able to free ourselves from the mysteries that have surrounded us and made us an entity separated from our creator. Then we shall come into an understanding of Cause and Effect. And our mental senses will perceive all forms and their purpose. And consciously we will understand the cause back of the manifestation.

009 私達が自然を知るためにはこれと同じ手順に従う必要がありますし、そうすることによって私達を取り囲み、私達を創造主から分離した存在にしていた諸神秘から私達自身を解放することが出来るようになるのです。そうなれば私達は原因と結果の理解に到達することでしょう。私達の心の感覚は全ての形有るものとそれらの目的について気付くようになるでしょう。そして意識的に私達は出現の背後にある原因を理解することになるのです。



【解説】

自らも含めて自然を知ろうとする時の手順として、言うならば全身全霊をもって自然を観察せよと言っているのです。私達にとって身近な「自然」とはどのようなものがあるでしょうか。例えば住いの近くの自然公園でも、街路樹でも良いのです。それらを観察、研究するということはどのようなことをすることを意味しているのでしょうか。

例えば、わかりやすく言えば、春夏秋冬、木々は様々な装いを見せます。寒い北風の中では小枝の先の新芽は堅く覆われ、守られています。しかし、春の気配が感じられる頃、新芽はほころび、やがて目に鮮やかな新緑が顔を出し、辺りは新しい生命に溢れる季節を迎えます。そして逞しく育った青葉はやがて、生い茂り、夏の暑い日射しを遮り、木陰を私達に与えます。そして季節が再び冬を迎えようとする頃、木々の葉は緑から一変して赤や黄色の錦の色合いに変化し、やがて訪れる風に乗って、木々から離れ地に戻ります。

このように、自然は絶えまなく、大きな変化を遂げています。そして木々をはじめとする植物の変化は季節変化に呼応しており、食物の源を植物に依存している私達、動物にとって、一年を通じた自然の営みにその存在を依存していることは言う間でもありません。

私達は、ひょっとして自分達とこのような自然、更には自然を支えている創造主とは懸け離れている存在と思って来たのでは無いでしょうか。確かに、私達自身、創造主とは無縁なもの、人間は自然を征服する存在、自然を利用し、開発できる存在、地球を支配する存在であるとして来ていましたが、果して、そのような傲慢さで良いのでしょうか。

アダムスキーは「私達が自然を知るためにはこれと同じ手順に従う必要があります」と言っていますが、もう少し厳密に訳せば、「私達は自然を知る必要があり、そのためにはこれと同じ手順に従う必要がある」と言っているのです。先ずは「これと同様(即ち医者が人体を観察するよう)に、自然を観察せよ」と言っています。

その観察を通じることによって、自然と私達との距離が縮まり、例えば植物の感性に近いまでに感受性が高まり、これまで自然の神秘とされてきたものが、私達の日常生活の中で生かせるような、生活が送れるようになるのかも知れません。実は、そのように「目に見えない印象」、「耳に聞こえない囁き」といったものが、本来自然の中に飛び交っていて、これらの「原因」となる力ある存在が、密接に私達に作用する状況に私達自身が高められるならば、素晴らしいことです。私達の心の感覚をそのレベルまで感性を高め、同時に形になっている現物の存在と関連づけることが重要だと言っているのです。


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