ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第05課 段落206 [2022-02-08]

206 In the case of an uncorrected mistake against another, a mystery is created that may never be solved. And if it is done after a lapse of time the feeling will never be the same again. So there is a loss through the neglect of correction. And yet the correction even under these conditions is very important in order to carry on. For somewhere along the line the lost words or impressions will repeat themselves, even if for another reason, and he who has the knowledge can use these words to fill in the gap. It is no different than a window pane that will fit into a number of places.

206 ひとつの修正されない過ちに対して更に修正されない過ちが起る場合には、決して解決しない神秘が造り出されてしまいます。そしてもし、時間経過の後に為される場合には、その感じはもはや同じにはなりません。ですから修正を無視したことで損失が生まれるのです。しかもこれらの状況の中であっても修正はめげずに続けて行く為にはとても重要です。何故なら、その線に沿った何処かでその失った言葉や印象類は、他の理由からであっても再現するでしょうし、その知識をもつ者はそのすき間を埋める為これらの言葉を用いることができるからです。それは数多くの場所に当てはまる窓ガラスと何ら変わるものではありません。


【解説】 人の話をよく聞くことは私達にとって難しい課題であるように思います。それは私達が相手の訴えたい事柄の真の姿(イメージ)に同調できず、聞くそばから自分の心の意見を聞き入れ、勝手に判断してしまうからです。 一方で、ある程度の年齢になると「よくここまで生きて来た」と思うものです。最近、YouTubeで”You Raise Me Up”という曲に出会いました。教会等で歌われる曲のようですが、本項の内容から言えば、これまでの人生の中で多くを意識が救ってくれ、自分を育ててくれた。そのお蔭で今日の自分があり、またこれからもYou(”意識”、最も信頼するに足る存在)を頼りに生きて行けるという意味かと思います。 イエスの時代、そして他惑星人社会の支援があった時代、そしてこれからも私達はこの感謝の気持を忘れずに各々の行程を旅するという訳です。

第05課 段落205 [2022-02-07] <<  |  >> 第05課 段落207 [2022-02-09]