ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第04課 段落175 [2021-12-20]

175 If we are to know what we feel that we should - who we are - and what we have been, then we must use the same method that they have used. There is one thing that we must remember, we cannot judge and divide and discriminate, or resent, according to likes and dislikes and have this knowledge. For once you get impressions coming from the memory buds there will be all kinds. And some you will have a tendency to dislike or even be frightened by them. For remember here on earth there are very low stages of life's manifestation that the ego might not like. But without these manifestations life would not be complete, for all phases are necessary. But once they are understood the judgement against them ceases. Like a drama on the stage where cruelty is resented, yet without it the phases of life would not be truly expressed.

175 もし私達が知るべきだと感じている私達が誰で、また何であったかを知る為には彼等が用いて来たのと同じ方法を用いなければなりません。ここで覚えておかなければならないことは、私達はこの知識を持った上で、好き嫌いによって裁いたり、分割したり、差別したり、腹をたててはならないということです。何故なら、ひとたび記憶の芽からやって来る印象類を捕捉するや、あらゆる種類のものがやって来ます。そしてあるものについては、あなたは嫌う傾向になるでしょうし、恐怖すら覚えることでしょう。何故なら、地球ではエゴが好まないようなとても低い段階の生命の現れがあるからです。しかし、これらの現れが無くては生命は完全にはなりません。全ての側面が必要なのです。しかし、一度それらが理解されれば、それらに対する裁きの気持は消えてしまいます。残忍さに憤りが湧く舞台の上の劇のように、それがなければ生命の側面が真に現されているとは言えないのです。

【解説】 このようにあらゆる創造物をいわば受容して、その内奥から与えられる知識・情報に触れる中で私達は進歩して行く訳ですが、著者は一つだけ私達に注意を与えています。 即ち、得られる知見や光景の中には、私達の心が恐れを抱くようなものもあるが、それらを全て含めて先ずは受け止めよということです。 そこに善悪の判断や好き嫌いの別を設けてはならず、全てが同じ構成員であることを先ず認める必要があるのです。”裁き”こそ、イエスが戒めていたことも、このことに関連してのことと思われます。 先ずはあらゆるものを受入れ、自らの意識で包み込んで、そのものが何をささやいているのか、耳を傾け、やって来る印象を逃さないことです。

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