ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落084 [2021-08-06]


084 The mind can be developed to see the pictures in a room that it takes a T.V. to produce. And the sounds and music that are in the air that take an instrument to amplify, and so on with the other senses of the mind, but if consciousness withdraws from the body we consider the form dead. Yet one can lose the functioning of the mind and all of the senses become very dull, but so long as consciousness is there he is a living being. This proves that the consciousness can live independent of the mind which the mind cannot do. Considering the two phases of man we find that they are comparable to two people living in the same house, one depending upon the other. One mental, the other conscious. The conscious part is of the Cosmos, the mental of the world. The wordly must learn to blend with the cosmic before the union with its creator can be realized.
084 心は部屋の中でテレビが造り出すような映像を見るほどに発達させることができます。また、気中にある増幅する装置を必要とする音声や音楽も見聞きできるまでになりますし、このことは心の中の他の感覚についても同様です。しかし、意識が肉体から離れれば、私達はその形有るものを死んだと考えます。しかし、心の機能を失い、全ての感覚が鈍くなったとしても、意識がそこに存在する限り、その者は生きた存在であり続けますが、心はそうは出来ません。このことは意識は心とは独立して存在できることを証明していますが、一方心は意識と離れて存在できません。この人間の2つの側面を考える時、私達はそれらは同じ家に住む2人の人間、一方が他に依存している場合のように例えることができます。一つは心、もう一つは意識です。意識の部分は宇宙的であり、心は世間的です。創造主との結合を実現するまでには、この世間的な部分は宇宙的部分と混じりあうことを学ばねばなりません。





【解説】
私事ですが、実は数か月前、長年の懸案を解消する為、痔の手術を受けました。手術自体は問題なく現在ではお蔭様で完治しているのですが、その時、下半身への局部麻酔を初めて体験したのです。
その結果、麻酔後は確かに物理的には自分の足であるのですが、一切感覚(触感)というものがなく、もちろん触っても一切感じない状態が数時間続きました。まるで意識が無い状態とはこのようなものか、死に行く際にはこのようになるものかと思ったものです。
このように私達が自身に対して意識を失えば、私達は死者と同様な存在に陥るように思います。また逆に、私達が自身の半身である意識と積極的に融合すれば、私達にはより活発な生命活動が宿ることになります。


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