ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第18章 段落209 [2021-02-19]


209 The Triterians had no religion as it is accepted today - they were a race of scientists, for they worked not on supposition or myth but on facts. They had no gods but recognized the all-intelligent force and themselves as expressers of it. They did not make the mistake of allowing their mortal mind to judge the creator for they understood cause and effect. They gave no thought to any division between themselves and the cosmic consciousness; they acted with a freedom and assurance of results. Therefore life was peaceful and harmonious. They were not bound by gods or devils for their only state of awareness was that of interblended action. They recognized the necessity of duality in creation but they did not separate the force into good and evil.
209 トリテリア人達には、今日認められているような宗教はありませんでした。彼らは科学者の種族であったのです。何故なら、彼らは想像や神話に基づいて働くことはなく、事実に基づいて働いていました。彼らには神がありませんが、全英知を認識し、自分達をその表現者であると自覚していました。彼らは自分達の死すべき心に創造主を裁かせる誤りをさせませんでした。何故なら彼らは因と結果を理解していたからです。彼らは自分自身と宇宙意識の間に如何なる分け隔てをするような想念を持ちませんでした。彼らは自由に、また結果を確信して行動しました。それ故、生命は平穏で調和あるものでした。彼らは神や悪魔に束縛されはしませんでした。彼らの知覚の唯一の状態は融和混合した行動のそれであったからです。彼らは創造における二元性の必要性を認識していましたが、その力を善と悪とに分離することはしなかったのです。




【解説】
本項は、現代文明の私達が過去には神秘主義や盲目的宗教から今度は一転して結果主義、物質主義に行き着いている状況等、トリテリアの民とは大きく異なる生き方をしていることを指摘しています。
トリテリアの民はいわば真心のある受容的な科学者であり、冷静に物事を観ることが出来ていたということでしょう。そして本項で具体的な側面を説くことで著者は私達に望ましい生き方の手本を示しているのです。
実際、トリテリアの民はわずかに神話の中にしか地球では記録されていませんが、アカシックレコードと呼ばれる宇宙の記録所にはそれらが誰でも学べる図書館のように整頓されているのかも知れません。
歴史を学ぶことは、かつての失敗を繰り返さない為、また成功例を手本とする為にこそ学ぶべきであり、過去の経験を今後に生かすことを通じて、私達は少しずつ賢くなるべきなのです。


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