ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第03章 段落043 [2020-06-11]


043 The Word has never given forth a Name and never shall, for in such act would lose its endless and eternal state of Being. But Man, to whom free-will and power was given, who slumbers deep and dreams his mortal dreams, has in his waking moments labelled action and given name to consciousness and form. His eyes at first were dim with mortal slumber; he saw but vaguely through the mist of sleep, and only felt the coarsest of frequencies that shaped the holy substance into form, but those he named so he might build a memory of parts to guide his future waking states, for only by such means can he evolve to recognition of Cosmic Allness.
043 大いなる言葉は決して名前を発したことはなく、今後もないでしょう。何故ならこのような行動を行なえば、その終わりのない永遠の存在状態を失うことになるからです。しかし、自由意志と力を与えられ、深くまどろみ、自らの死すべき夢を見ている人間は、目覚めている間、行動にラベルを付け、意識そして形あるものに名前を付けて来ました。その目は最初は死すべきまどろみで霞んでおり、人は眠りの霧の中でかすかに見るだけで、形あるものに聖なる物質を形づくった振動の最も粗いものを感じるだけでしたが、自分が名付けたものに対して、人は将来の目覚めに導く役割を持つ記憶の部品を作ります。何故なら、この手段によってのみ、人は宇宙の全体性を認識するよう進化出来るからです。




【解説】
そもそも何故私達人間に諸々の創造物に対して名付けることが許されているかについて、本項は解説しています。
元来、宇宙の創造において名前は必要ではありません。大自然の中に分類されておらず名前もない多くの動植物が存在します。わずかに探求者が森に入り、新種の動植物を発見できたとニュースになる程度が地球のレベルであるのです。
名前(学名)が無くても、それらの種は何ら影響なく暮らしており、名前を必要とするのは、人間の側の論理に過ぎないのです。
しかし、重要なのはこの名前を付けるという意義は、ひとえに人間にとってその理解を助ける為であると説かれています。分類学とは自然を私達が理解する為にあるという訳で、宇宙や自然を理解しようとする上から活用すべきものということです。


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