ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 4章 段落378 [2020-03-30]

378 Understanding is knowledge lived. When we understand the purpose behind each act, we do not judge. We then become observers, to evaluate all manifestations in relationship to Cosmic Cause; which gave them birth.

378 理解は生きた知識です。私達が各々の行為の裏にある目的を理解すれば、私達は裁きを行なうことはしません。私達はそれからは、それらを誕生させた宇宙の因との関連性についてすべての創造物を評価するため、観察者になるのです。

【解説】 私達が知識と言う場合、その知識にはいわゆる紙の上の知識、単なる文字化された記録の中に表現された情報と、もう一つはその者が生きる中で実証納得し、生涯の中で実証記憶している知識とがあるものです。その内、重要なのは後者で、私達が理解しそれを生活の中で日々実践している知識という訳です。 私達はこの実践の中で、日々自分の行動とそれがもたらす結果とをよく観察し、その因果関係を学ぶことになる訳で、本文で言うように観察者として自分自身を監視することになります。仏典でいう”観”という言葉は、観音、観自在、観世等々、様々に用いられますが、その奥底の意味は本文で言うこの観察者の意味にあるということでしょう。

第3部 4章 段落377 [2020-03-27] <<  |  >> 第3部 4章 段落379 [2020-03-31]