ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 3章 段落321 [2019-12-27]

321 An example of this occurred involving an acquaintance of mine who was the head of a large concern in the east. Wanting to make his home in the western part of the country, this man had left his business in the hands of a capable and apparently trustworthy manager; who also happened to be a large stockholder in the company. Except for the annual reports, and occasional correspondence between the two, the head of the company was not worried with the operational arrangements of the business, for he had utmost confidence in his manager's ability and honesty.
I knew that my friend's interest lay in the east, but at that time, I was not familiar with the managerial details.

321 このことの一例が、東部(訳注:米国東部)における大きな仕事の社長であった私の知人の一人について起りました。西部に自分の家を持ちたいと思っていたこの人物は自分のビジネスを有能で見掛け上も信頼出来そうな支配人の手に委ねたのです。その支配人はまた、たまたまその会社の大株主にもなったのです。年間報告や二人の間の時々の連絡を除けば、その会社の社長は事業の運営手はずについて心配はありませんでした。彼は自分の支配人の能力と誠実さには絶大な確信を持っていたからです。私は私の友人の関心が東部にあることは知っていましたし、その頃、私はその経営上の詳細についてよく知りませんでした。


【解説】 他人を見抜く力や物事の真偽に関する察知能力というものも、本来はテレパシーに属するものと言えます。外見や言葉、見かけの行動の背後にある想念パターンにこそ真実な姿があるからです。 本項は著者アダムスキー氏が実際に体験した事例かと思われますが、氏は物事の判断や行動の指針を常に勘(hunch)によっていたとされています。即ち、目に見えるもの、耳に聞こえるものでなく、自分が受けた”感じ”に従っていたのです。 これこそがテレパシーに基づく生活のありようであり、印象に従うことの大切さを示すものです。この場合、応用実践に当たっては最初の内は自らの心の声の方が大きい為、失敗も多いのですが、やがてはその妙なる声に気付くようになるものです。特に声が聞こえるようなものでなく、自然とその印象に従えるようになるところが大切です。素直に躊躇なく従う姿勢が大事なポイントであると思われます。

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