ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落305 [2019-12-05]


305 I believe the telephone makes a very understandable illustration for the exchange of impressions . . which, of course, is operable telepathy. Remember, we have stressed the importance of an open, receptive mind; and mind, like the telephone, is a two-way instrument. If we keep our minds continually occupied with consciously sending out thoughts, any impressions coming to us will receive the "busy signal" and be turned away. The connection between mind and mind cannot be completed, because the frequencies of the incoming impression cannot get past the thought vibrations our own mind is broadcasting.
305 私は電話が印象の交換、それはもちろん実行力のあるテレパシーですが、それをとても分かりやすく説明する例になると思っています。私達がオープンで受容的な心の重要性を強調して来たこと、また心というものが電話のように双方向の装置であることを覚えておいて下さい。もし私達が想念を意識的に送ることで私達の心を常に占拠していたら、私達にやって来る想念があっても、それらは「話し中の信号」を受け取り、戻されることでしょう。入って来る印象が私達の心が送信している想念振動を抜けることが出来ないため、心と心の間の接続が完成されないのです。




【解説】
前項(304)の冒頭に説明があったように、テレパシーは私達の心を通じて行われます。それ故、心が既存の想念で一杯になっていたり、想念の発信過程にある間は、他の想念が入り込む余地がなく、受信ができないことになります。
まさにテレパシー能力は如何に自らの心を穏やかに保ち、あらゆる微妙な波動にも気付けるよう、警戒を怠らないかに掛かっています。
即ち、心の中にいつまでも自己の想念を保持することも、テレパシーを妨げることになります。心を空(Empty)にすること、心を空しくすることについてはイエスの教えでありますが、これもテレパシーの本質を説いたものと思われます。



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