ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第3部 2章 段落276 [2019-10-24]


276 If he gives these thoughts any recognition, he generally releases them immediately as mere figments of his imagination. But, after all, what is imagination? Is it not the faculty to objectify, or imagine, that which is invisible to the senses? As one Eastern philosopher aptly phrased it, "Imagination is the bridge between the known and the unknown."
276 もしその者がこれらの想念に何らかの認知を与えたとしても、その者はそれらを単なる自分の想像の産物だとして通常は手放してしまいます。しかし、結局のところ想像とは何でしょうか。それは既存の諸感覚には見えないものを具体化し、考えてみる能力ではないでしょうか。ある東洋の哲学者はこれをうまく表現しました。「想像とは既知と未知との間の架け橋である。」




【解説】
本項は私達が日常的に遭遇している想念がどのようなものかを改めて示しています。
即ち、通常、私達が単なる想像、幻想と言った類の思いつきだとして捨て去るものの中に、それらの要素が入っているというのです。通常、私達がそれらのアイデアのカケラが心に浮かんでもそれらは単なる妄想だとして捨てている為に、テレパシー能力が育成されないのです。
本項で言う東洋の哲学者が誰なのかはわからないのですが、私達が通常、想像として分類しているものの多くは因からの想念波動であり、それらはやがては現実化することを説いています。宇宙空間の中を流れる創造作用を持つ印象類である可能性があるという訳です。
テレパシー能力は単に相手の発する想念を理解出来るという段階から創造的な想念波動、因に起源を置く創造主の意図を理解する段階に進むべきなのです。



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