ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落086 [2018-12-26]


086 When I realized this, I began to school myself by utilizing the law of patience. Even though at first my senses did not understand this law, I knew through discipline they would eventually obey. And by the very fact of acknowledging that they were subject to a higher law, they would in time understand the purpose behind each act; the Cause, (or Creator) behind effect. Therefore, my first step must be to coordinate my sense reactions to a unity with, and understanding of - Cause.
086 私はこのことを悟った時、私は自分を忍耐の法則を使って訓練し始めました。最初は私の感覚達はこの法則を理解しませんでしたが、私には鍛練によってそれらは遂には従うようになることが分かっていました。そしてそれらがより高次な法則に従うべきことを自覚した事実によって、それらはやがて各々の行為の背後にある目的や結果の背後にある因、(創造主)を理解するようになるのです。ですから、私の最初のステップは私の持つ感覚の反応を、因との一体と因の理解に向けて調和の取れたものにしなければなりません。




【解説】
究極の贅沢とも言える”美食”ですが、それも口から喉で飲み込むまでの話です。高品位の味わい(味覚)、見た目の美しさ(視覚)、香り(嗅覚)、それに食卓に流れる優雅な調べ(聴覚)等々、この上ないひと時も、食物が飲み込まれた後の行く末について、これら四感覚が知るところではありません。
しかし、どんなに上質な食物でも、その後の体内の処理が不適切であれば、やがては不快な身体状況になりますし、場合によっては生存そのものも保てなくなるのです。私達がこうして食事を楽しんだ後、正常に消化分解され、必要な栄養素が体内に行き渡る一方、不要となった老廃物である便を翌日には排出するまでの一連の働きが体内で規則正しく行われることで私達の日常は成り立っている訳です。
これらは私達の四感覚とは別のグループの働きであり、より高次な細胞達の働きなのです。私達はこれら高次な生命活動こそが私達の指導者であり、大事にしなければなりません。よく言う”ご自愛下さい”という表現は、各自これら上位の存在を尊び、愛せよと言うことを言っているのです。



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