ジョージ・アダムスキー「テレパシー」第1部 3章 段落063 [2018-11-16]


063 Let us now deprive man of one of his four senses, such as sight. Does this affect the life force in the body? Not at all! We can go further and deprive him of two, three, or even all four; yet he will still be a conscious, living being. Though the actual organs of sense are not functioning, he is conscious of knowing joy or sorrow, peace or pain, and he is able to receive mental impressions and visualize them perfectly.
063 では人からその4つの感覚の内の一つ、例えば視覚を取り去って見ましょう。これは肉体内にある生命力に影響を与えるでしょうか? 全く有りません。次に進んでその者から二つ、三つそして四つ全部を取り去ることも出来ますが、それでもその者は意識ある生きた存在であり続けることでしょう。実際の諸感覚器官は機能していないにも拘わらず、その者は喜びや平安、或いは苦痛を知る意識を有していますし、心的印象を感受し、それらを完全に映像化することが出来ます。




【解説】
目も見えず、耳も聞こえない中でも、世界中を旅し多くの人々を励まし続けたヘレン・ケラーの著書を読んだことがあります。日本にも来たことのある彼女は実に知的な方で、その本からは多くの示唆に富んだ哲学的な話題があったことを記憶しています。
私達はとかく四つの感覚に依存しがちですが、それらを取り除いてもなお、私達の思考その他精神活動はいささかも影響を受けることはなく、「私」の本質は変わるものではありません。事実、私達の身体の中の諸活動は光が無く、音の無い環境であっても着実に進められており、所定の機能を果たしているのです。
そういう意味からは、以後、私達の自分の四感覚を離れてもなお、存在する「私」の実体、即ちフィーリングを中心とする存在に着目する必要があるのです。想念・印象を頼りに人生を歩んで行くということかと思います。


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