461 In Genesis we are told that the first Creation was a Void, and without form. That in the second creation forms began to manifest. But we should notice here that the Creator gave a command, or instruction to the spirit which in this case is power, to the small amount of intelligence in the elements to carry out His command. And there had to be intelligence in the elements in order for them to carry out the instructions. You can plainly read in the Holy Writ how the form of a man was created, as well as all things. And there was no doubt in the Creator's consciousness whether a form would manifest or not for there was an absolute assurance that it would. And you can notice that the command was not repeated, it was given once and that was all.
461 創世記で私達は創造の最初は気空であり、形は無かったと伝えられています。そして第二の創造で形が現出し始めたとされています。しかし、私達はここで、創造主が命令、即ち指示を霊魂、この場合は力である霊魂、そして創造主の命令を実行する為に各元素の中にある微小量の知性に対して与えたことに注目すべきなのです。そして、その指示を各々が実行する為に各元素の中には知性が無ければならなかったのです。貴方は聖書の中に万物はもちろん、人間の形がどのようにして造り上げられたのかを率直に読むことが出来ます。そして創造主の意識の中には形あるものが現出するかどうかについて疑念はありませんでした。何故ならそれがそうなるだろうという絶対的な確信があったからです。そして貴方はその命令が繰り返されなかったことに気付かなければなりません。それは一度だけ与えられ、それが全てであったからです。
【解説】
本項で重要なことは創造主の命令は一度だけということの意味だと思います。この文章の中で著者アダムスキー氏は私達に創造的な想念の特徴、或いは創造的作用を生み出す秘訣というものを示唆しているように私には思えるのです。
従来、私達は何か行者の護摩炊きのように繰り返し自らの願いを発したり、繰り返し祈ることによって物事の実現を願っていました。しかし、創造主は一度だけの命を下すのみと聖書には記されていると著者は説いているのです。
つまりそれほどに創造主の命の中には緻密、詳細な指示イメージを含有したメッセージである訳ですが、それは一度で十分、目的は達せられるほど、力強いものとも言えることでしょう。また同時にそれほどに実現に確信があるということでもあります。
もちろんこのことと、私達の日常の願いとは到底比較するべきものではありませんが、創造主の似姿とされる私達人間にとって、参考とすべきは自らの願いを真に実現させたいと思うなら、この創世記の記述の通り、私達は確信を持ってその願いの想念を解き放ち、その作用を確信して待つ姿勢が重要であることが分かります。想念をいつまでも自身の中にとどめて置かずに解放するということかと思われます。
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