ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第12課 段落454 [2018-07-31]


454 何故なら宇宙意識は水流を上に吹き上げる噴水のようなもので、それは次には無数の小さな水滴に分かれ、あらゆる方向に落ちますが、再び池の水本体と融合します。このようにその奥に包含される知識は、人がその存在を統合するやいつでも取り出され、用いられる為に常に存在しているのです。そして永遠の中における生命の姿は常に増大する理解という尖塔から眺められます。
454 For Cosmic Consciousness is as a fountain that sends its stream upward and then divides into myriads of tiny droplets that fall in all directions and again unite with the body of water in the pool. Thus the knowledge that is embraced within its bosom is ever present to be tapped and used once man unifies his being. And life in its entirety is viewed from the pinnacle of ever increasing understanding.




【解説】
以前、静岡・三島に行ったことがあります。市街地の水路にキレイな水が豊富に流れていたのが印象に強く残っています。その水の由来は富士山からの伏流水とされ、その湧き出す泉は本項で言う意識の泉そのものです。
このように豊富に湧き出る清涼な水は宇宙意識を象徴するものであり、人知に関わらず止むことなく永続して私達に提供され、私達自身もその水の恩恵を受けることで生命を保っています。
また本文で言う噴水の礼では吹き上った水滴の一粒一粒が私達自身のことのように思われます。吹き上がってから再び元の水面に戻るまで宇宙的時間の中では短い一生ですが、それでも空中に居る間は、それぞれの存在を輝くものとなっているという訳です。私達各人は少なからず再び元の水面に戻りますが、先ずはその一生を充実して輝くものとすることが求められているのです。


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