ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第07課 段落284 [2017-11-07]


284 At this point my feelings were mixed between mental curiosity and the cosmic purpose of the trip. So it was my duty as a mentalist to control myself and know that I meant nothing but what I was about to learn meant everything. In other words I had to lend myself to my better self which was the conscious teacher, knowing that my personal toys would be there when I needed them.
284 この時点で私の印象は心の好奇心とその旅行の宇宙的目的との間に融合されました。そこでは心主義者として私の為すべきことは自分自身を制御し、私は何らの意味はなく、私がこれから学ぼうとすることが全てであることを知ることだったのです。言い換えれば、私は意識の教師であるより良い自分自身に自分を委ねなければならなかったのであり、必要になった時、私の個人的なおもちゃ(訳注:個人的な興味の対象物)は現れることを知っていたからです。


【解説】
本項で説かれていることは私達の日常生活にも当てはまります。従来、私達はその時必要な事柄よりは、目先の珍しい対象に目が移ってしまい、本筋のテーマを逃すことが多いからです。
まして昨今は多くの娯楽が提供されていますし、私達は意図的に仕組まれた流れの中に漂っているように思うのです。
本件、土星旅行記については別途ご参照戴くこととして、アダムスキー氏には様々な生命の真相が伝えられたものと思われます。その高尚なテーマを吸収するためには氏の心の中を落ち着かせ、与えられる知識を吸収できるよう整える必要があった訳です。
実は私達の日々も同様に意識を通じてもたらされるヒントを充分に感受するためには、心を含めて印象に素直に従う体制を私達の内側に整えなければなりません。禅宗の座禅も心を落ち着ける訓練でしょうし、水垢離等の荒行も肉体への刺激を通じて心を覚醒させる訓練ではないかと考えています。日常生活の動作全てにこのような要素を取り込むことが大事かと思う次第です。


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