ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第07課 段落275 [2017-10-24]


275 Do not become too absorbed with labels as they may confuse you. Do not expect the same kind of reaction as you have been accustomed to from the mental side. For when you become aware of the life of a flower you will also be aware of the intelligence that produced the effect. The flower will not speak to you in sounds you are accustomed to but it will react to you as intelligence speaking to intelligence. And all forms can be addressed in the same manner, for you will not be recognizing the form alone, but the intelligence manifesting through the form.
275 レッテルにはあまり没頭しないようにして下さい。それらは貴方を混乱させるかも知れないからです。また、感覚心からの反応に馴れて来たのと同じ種類の反応を期待してはいけません。何故なら貴方が一つの花の生命に気付く時、貴方はまた、その結果(訳注:花)を造り出した知性について気付くようになるからです。その花は貴方に貴方が馴れ親しんだ音で話し掛けることはないでしょうが、知性が知性に話し掛けるように貴方に反応することでしょう。そしてすべての形有るものはこれと同様なやり方で呼び掛けることができます。何故なら貴方は形のみを認識しているのではなく、その形を通して具現している知性を認識しているからです。




【解説】
私達が外界を見る時、多くはこれまでの分類に従い、生物と無生物、植物と動物、更には各種属へと細かい分類名として認識しますが、本項で著者はこれからはこれら既存のレッテルにあまり左右されないようにと注意しています。
元来、宇宙的生命活動の上からはいわゆる生物も無生物も、植物も動物も大きな差違はありません。分子・原子のレベルでは共に想念・印象を記憶し発信する実体なのです。
そういう意味から私達はそれらを見る際、努めて印象でのやり取りを進める必要があります。植物の成長を願って水をやり、土を耕して実りを夢見ることはそのまま彼らに伝わりますし、彼ら植物もそれに印象で応えるに違いありません。
重要な点は自然界のあらゆる存在は私達と同等であり、同胞であるという意識です。また、こうした交流を通じて私達はこれまで以上に植物や動物達、またいわゆる無生物と称されて来たもの達から、印象を通じて多くを学ぶことが出来るのです。


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