ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第07課 段落271 [2017-10-17]


271 The sense of sight is reflecting the effects, but not the life of the effects. It is like the window or mirror. But to have a reflection there must be a cause. So in a way we are half dead, or living only half a life. And Jesus said, let the dead bury the dead. Meaning that the pallbearers bearing the corpse are as dead the corpse. The form within the coffin lies unconscious of life and the ones carrying it are equally unconscious of life in full, or cosmic life. For the corpse lived a mental life as the ones who bear it do and once the consciousness withdraws, the mental is silenced. For it never knew itself as the real part which is the consciousness.
271 視覚は結果物を反映していますが、その結果物の持つ生命は反映していません。それは窓や鏡のようなものです。しかし、映像を得るには因がなくてはなりません。ですからある意味、私達は半分死んでいる、或いは生命の内、半分しか生きていないと言えます。また、イエスはこう言いました。死者をして死者を葬らせよと。死体を担いでいる者も死体と同様に死んでいるという意味です。棺の中の肉体は生命の意識は無くなり横たわっていますし、それを運んでいる者達も等しく満ちた生命、宇宙の生命について意識していません。何故なら、その死体はそれを担ぐ者達同様に心による生活を送って来ましたので、ひとたびその意識が退くと、その心は沈黙させられます。何故なら、心は意識である真実の部分に関する自分自身について知らないで来てしまったからです。



【解説】
「死者をして死者を葬らせよ」というイエスの言葉の意味は、死者を埋葬する者も、実際は死者と同様に自分の半身に気付いておらず、半ば死んだようなものだということです。即ち、現在生きている者も自分の半身に気付かなければ、肉体の死とともに消滅することを示唆しています。
私達は常に結果のみに着目し、すがっていますが、大切なのは物質・物体ではありません。それを生み出した知性・生命力とそれに呼応して活動する生命の息吹なのです。確かに私達の肉体も例外なく、日々の消耗の中で衰えて行きますが、その内側にある精神麺は若さを保つことが出来ます。移り行く物質世界の中ですが、常に変わることなく降り注いでいる生命力にこそ私達は同化・同調すべきです。
私達がやがては死すことは明らかなのですが、その際に少しでも真実・真理を理解し、再び再生出来る心であるよう、毎日を探究する人生でありたいものです。


ご連絡 [2017-10-17] <<  |  >> 第07課 段落272 [2017-10-19]