ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第07課 段落251 [2017-09-19]


251Ordinary routine becomes habitual and governs the ego, but this cannot be called a memory. And unless man cultivates Cosmic memory he becomes nothing.
251 通常の日常仕事は習慣となりエゴを支配しますが、これは記憶とは呼べるものではありません。そして人は宇宙的記憶を養わない限り、無になってしまうのです。



【解説】
私達が習慣的に行っていることは記憶に残るものではないと本項は警告しています。いつものような決まりきった事柄は私達の暮らしの中で多くの割合を占めていますが、それは宇宙的記憶という観点では何の足しにもならないということです。
それらいわば、惰性的な日常仕事は一方で社会を支えている訳ですが、それだけでは私達の宇宙的記憶は開拓されようがないことも確かなのです。
どうすればこの宇宙的記憶を育むことが出来るかはやがて本講座で学ぶことが出来る訳ですが、一つのヒントは私達の幼年期の記憶状況にあるように思います。ある年齢を越え高齢者と呼ばれるあたりから、人は日々の記憶は薄れがちになります。昨日何をしたか等々、直ぐには思い出せない訳です。しかし、各自が幼年の頃体験した事柄は、高齢となった時でも鮮やかに記憶が甦るものです。つまり毎日が目新しく、新鮮であった頃には記憶活動が活発であったということでしょう。しかし、日々の暮らしに新鮮味を感じられなくなると記憶に刻まれることなく歳月が過ぎて行くという訳です。
本項にあるように、宇宙的記憶は"cultivate(耕す、育成する、培養する、育む)"ものであることが、理解のポイントと思われますし、私達は自分自身の宇宙的記憶力を育むことに努めなければなりません。


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