ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第06課 段落234 [2017-08-25]


234 The happiness which man feels within his heart and for which he searches can never be realized until he blends his will with the will of consciousness. Any more than the drop of water, remaining by itself can know the vastness of the ocean. When man realizes this he will know his true identity for the first time. And will no longer live in the shadow of his reality, influenced by every wind that blows. And there will be rejoicing in heaven when the prodigal man returns to the household. But this will take a profound determination on the part of each human, with an unshakable faith. For he will have to give up his egotistical pride and face whatever is presented to him.
234 人が自分の胸の中で感じ、探し求めている幸福は、自分の意志を意識の意志に融合させない限り、決して実感することはありません。孤独であり続けた水の一滴が大洋の広大さを知ることと大差はありません。人がこのことを悟ったなら、その者は初めて真実の主体性を知るでしょう。そして吹きすさぶもろものの風に影響され、自身の真実の姿の陰に生きることはしなくなります。そして放蕩息子が家に戻った時には天国では祝賀があることでしょう。しかし、これには個々の人間の側に不動な信頼感を持った上での心からの決心を必要とします。何故なら、如何なるものが現れているかに関わらず自己中心的な自分のプライドとメンツを諦めなければならないからです。




【解説】
最も基本的な事は、本文冒頭に記されているように、"真の安らぎ"というものは私達が意識と融合しない限り達成されないという真理です。もちろんこれは、様々な自我の意志に従ってこれまで暮らした結果、多くの辛い体験や苦痛を経験し、疲れ果てて終わる私達の実体験に照らして、何故そうなるのかの問いかけにいち早く直面しなければなりません。多くの不快な体験を経る中で、私達はいち早くこのことを認識することが必要です。
イエスの時代から、"放蕩息子"の話が伝えられていますが、実はその息子が家に戻った時、両親が息子を暖かく迎え入れるところが重要です。つまり意識はその下に帰る者一人一人を暖かく受け入れ、喜んで呉れるという訳です。
私達は、この暖かく腕を広げて待ち受けて呉れる意識の下に戻るべきなのですが、それを阻んでいるのが私達自身のプライド、自尊心です。"何事にも謙虚であること"の必要性は、ここにもあるのです。たまたま幸運にも何かの事業に成功して、その自我が驕り高ぶったとしても、その将来は不安定です。それに引き換え、意識という生命躍動の本源と通じた者は、これら世俗の浮き沈みに関係ない安寧な進化の道を歩むことが出来るのです。


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