ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第04課 段落171 [2017-05-24]


171 We all must admit that as mentalists we know little about what is going on in our bodies. But we do know that a certain kind of knowledge is operating through the body that knows what to do when the mind does not. So the mind has been accepting this on blind faith as an established fact. Yet it is the duty and privilege of the mind to learn all that takes place within the form if it is ever to have a peaceful existence. And thus fulfill the purpose for which it was created and eliminate the conditions brought on by confusion and fear caused by uncertainties. Then the mind would not repeat mistakes as it does today.
171 私達は皆、心至上主義者の私達は自分の身体で何が起っているのかほとんど知らないでいることを認めなければなりません。しかし、私達は心が知らなくても身体を通して何を為すべきかを知っているある種の知識が作用していることは分っているのです。ですから、心はこのことを確立された事実として盲目的信仰の上に受け入れて来たのです。しかし、心が平安な存在であり続けたいのであれば、形有るものの中で起っているすべてを心が学ぶことが心の義務でもあり、また特権でもあるのです。そしてこのようにすることが、その形有るものが創造された目的を成就させ、不安状態による混乱や恐怖によってもたらされた状態を取り除くことになるのです。そうなれば、心は今日のように誤りを繰り返すことはなくなるでしょう。



【解説】
本項は、そもそも私達の心と肉体の関係はどうあるべきかを説いているように思います。
中でも私達は自らの意思、即ち心こそが自分の本体であり、肉体の支配者であるとして来ましたが、果たしてそうなのでしょうか。現代の生命科学や本講座のこれまでの記述から、あらゆる生きものが等しく構成する細胞というシステムには共通する遺伝分子があり、それらが分化して各々の身体を部位を造り上げていることが分かっています。
更にはその遺伝物質が記憶をも運んでいると、これまで本講座で説かれて来た訳です。つまりは肉体の側の中に英知があり、私達の心は無知な暴君でしかなかったのです。
このように考えれば、全ての知識は私達自身が持っていることになり、それらの存在にどのように気付くかが次の課題になります。もちろん時間は十分にありますし、何処に行くにせよ自身の膨大な図書館とも言える肉体と一緒である訳で、こんなに頼りになることはありません。私達各自が生まれて来た目的はこれら知識の宝庫から適切なものを取り出して、各自実践活用し、行動することで他者ともそれらの知見を分かち合うサービス(奉仕)に従事することでしょう。”汝自身を知れ”とは、このように深い意味があったのです。


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