ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第04課 段落149 [2017-04-13]


149 In order to clarify what we mean we can use the illustration of the creation of form when liquids transform into solids. A drop of water placed on dust will absorb the dust unto itself. And if a small amount of water is allowed to move slowly over dust it will absorb so much that the liquid vanishes and a mud ball takes its place. It is no longer liquid, but moisture that holds the dust together to form a sphere. Should there be enough liquid to absorb all of the dust that might be available there is no saying how large this sphere could become.
149 私達の意味するところをはっきりさせる為、液体が固体に変容する際の形あるものの創造についての例を用いることにしましょう。塵の上に載せられた一粒の水はその上に塵を吸収させます。そしてもし、小さな水玉が塵の上をゆっくり移動するようにさせたら、それは塵を最後には液体が見えなくなるまで吸収し、遂にはそれに代わってひとつの泥玉ができることでしょう。それはもはや液体ではなく、球体を形作る為に塵を繋ぎ止めている水分なのです。もしすべての塵を吸収するに十分な液体があれば、この球体が何処まで大きくなるか誰も発言することは出来ません。



【解説】
本項では著者が一連のガス体から液体や固体に変化する創造的過程をより分かりやすくなるよう、例を説いています。
この例では水が塵に吸収され塵が紛体から泥玉に形作られる過程を記している訳ですが、そもそも私達が日常見る形あるものの本質が述べられているように思われます。つまり、私達の目の前にある創造物は、私達自身の肉体も含めて、この泥玉のようなものだと著者は示唆しているのではないでしょうか。
私達の肉体は他とは明確に区別されている個体として私達は認識している訳ですが、それも元来は塵のかけらが人体を構成する為に集められたものと言えるでしょう。その集積する力を発揮しているのは、本文の事例では水という訳ですが、更にはより大きな創造作用のある要素が私達の肉体を維持し存続させているということになります。
従ってもし、これらの作用が維持できなくなれば、私達の肉体も含めて、全ての形あるものは元来のガス体に帰って行くに違いありません。


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