ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第03課 段落116 [2017-02-22]


116 And we have become lost in our own mis-creations by separating ourselves from our consciousness which is of the Creator. We have become intellectual giants, but moral morons from a conscious point of view.
116 そして私達は創造主である私達の意識から自分自身を分離することによって私達自身が造り出した誤った創造の諸物の中で迷子になってしまっているのです。私達は知的には巨人になっていますが、意識の観点からは倫理上、低能に成り下がっています。



【解説】
私達は本来のあるべき姿、即ち自らの内部に宿る意識が黙していることを良いことに、長年、自我の心を増長させ、自分の都合の良い言い訳を作り上げて生活して来ました。その結果、私達は創造主を裁き、倫理に劣るが知識の上では巨大化したイビツな存在になってしまいました。
他の生きものたちは、知識や知性は劣りますが、意識に従うという点では人間よりはるかに優れています。その結果、大自然はかくも調和した美しさを保ちますし、私達人間もそれらの静かで調和した世界に憧れるものとなっています。
一方、知の巨人となった人間の世界はどうでしょうか。世の中の経済の動きをコンピュータが自動で収集し、株の売買を自動的に行って利益を得る等、AI(人工知能)を金儲けに活用することも行われ始める等、他人を出し抜く競争社会、他人を利用する風潮は社会を悪化させています。
これに対し多くの教師、先人が本来の人間のあるべき姿を説いて来ました。その教えが自身の中にある意識の声に耳を傾け、それに従えということです。自分のこれまでの経験や知識等はどうでもよく、自らに与えられる意識の声、即ち印象をはるかに大切なものとして受け止め、それらを表現し、実現することだということでしょう。今読んでいる「釈尊の生涯」(中村元、平凡社)の中に、釈尊が説く教えを聞いた者が直ちに、悟りを得たという記述が多くあります。本当に真理を得た者と接し、お話を伺うことで、長年の曇りがたちどころに覚めるということでしょう。その背景には、私達自身の内側に、既に十分な備えがある為、それに気付くきっかけが必要なだけだという訳です。同乗記における他惑星の長老との会見がそのような事情を示唆しているのです。


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