ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第03課 段落108 [2017-02-10]


108 Perhaps you feel that I use the word consciousness a great deal and place emphasis on it. And you may wonder, why? It is because the consciousness has been neglected through the ages while the mind has been exalted. And did Jesus not say that we are the Temples of the Living God? It could be said in this way, know yea not that yea are the embodiment of the living consciousness?
108 おそらく、貴方は私が意識という言葉を大変多く使用し、それに力点を置いているとお思いになるでしょう。そして何故だと思うかも知れません。それは何世代にわたり心が増長して来た一方で、意識は無視されて来たからなのです。そしてイエスは私達は生ける神の社であると言わなかったでしょうか? それはまたこのように言うことが出来ます。貴方は自分が生ける意識を体現したものであることを知らないのかと。



【解説】
ある意味、この生命の科学をはじめとするアダムスキー哲学を理解する上で、カギとなるのがこの”意識”という概念でしょう。これまで私達は様々な知識を作り出し、文字や記号で表すことで他者に伝えて来ました。これら知識を蓄えることで科学を発展させ、技術を伸ばして来ました。また心に湧き起こる想念や印象の存在も多少は理解できたものと思われます。
しかし、実は肝心の”意識”についてはほとんど考えもしていないのです。”意識”は自身の存在を心に強いることなく常に無言であるからです。この無言・沈黙の中に英知が溢れんばかりに宿っており、あらゆる生命体を無言のまま育んでいるという訳です。
この意識の存在に気付くことが”悟り”であり、覚醒とされて来たように思われます。私達はこの覚醒された先達のその後の生き方から、意識を自覚することが如何に価値あることかを知ることが出来ます。
人の一生の時間は長いように見えても短いものです。とりわけこの分野の理解は重要にも拘わらず、私達はあまりに忙しく日々を送るあまり、気付こうとする努力が足りません。私達各人はイエスの頃から説かれている私達が最も頼りとすべき”意識”の存在を探求しなければなりません。



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