ジョージ・アダムスキー「生命の科学」第02課 段落084 [2017-01-05]


084 The mind can be developed to see the pictures in a room that it takes a T.V. to produce. And the sounds and music that are in the air that take an instrument to amplify, and so on with the other senses of the mind, but if consciousness withdraws from the body we consider the form dead. Yet one can lose the functioning of the mind and all of the senses become very dull, but so long as consciousness is there he is a living being. This proves that the consciousness can live independent of the mind which the mind cannot do. Considering the two phases of man we find that they are comparable to two people living in the same house, one depending upon the other. One mental, the other conscious. The conscious part is of the Cosmos, the mental of the world. The wordly must learn to blend with the cosmic before the union with its creator can be realized.
084 心は部屋の中でテレビが造り出すような映像を見るほどに発達させることができます。また、気中にある増幅する装置を必要とする音声や音楽も見聞きできるまでになりますし、このことは心の中の他の感覚についても同様です。しかし、意識が肉体から離れれば、私達はその形有るものを死んだと考えます。しかし、心の機能を失い、全ての感覚が鈍くなったとしても、意識がそこに存在する限り、その者は生きた存在であり続けますが、心はそうは出来ません。このことは意識は心とは独立して存在できることを証明していますが、一方心は意識と離れて存在できません。この人間の2つの側面を考える時、私達はそれらは同じ家に住む2人の人間、一方が他に依存している場合のように例えることができます。一つは心、もう一つは意識です。意識の部分は宇宙的であり、心は世間的です。創造主との結合を実現するまでには、この世間的な部分は宇宙的部分と混じりあうことを学ばねばなりません。




【解説】
本項の解釈はやや迷うところがあります。著者が私達がテレビやラジオを作り出して空間を流れる映像や音声をキャッチしていること自体について心の発達と表現しているのか、或いは私達の心自体、そのような直接空間を流れる映像や音声を感知できるまでになるとしているのか、2つの解釈が可能となるからです。
もちろん、テレビやラジオを作り上げたのは人間ですし、私達の心の成果であることは正しいと思うのです。
しかし、本項の重要なところは、実は私達の内側には2つの存在があり、心の他に全てを知る意識があることを強調している点です。この内、本当の意味で私達を支えているのは意識の方で、意識が離れれば私達は生き続けることは出来ません。
それほどに重要な知性が実は自分(心)と同じ部屋の中に暮らしていると考えると、実に頼もしくなります。常に師匠といっしょに生活出来ることはこの上ない喜びである訳です。



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