ジョージ・アダムスキー「宇宙哲学」第17章 段落180 [2016-05-31]


180 Among many religious groups, and particularly those of an occult nature, we hear much about the great wisdom of the ancients. "If you expect to evolve to a state of masterful action," we are told, "you must go back and study the teachings of the old." It sounds a little twisted, doesn't it? To evolve we must go back! But why? Evolution is an expansion, a growth. Does the tree in its process of attaining maturity grow backwards into the roots? If it did I am sure we would never taste its fruits.

I suppose no man ever appreciates the thing that he has in his hand, and while it is right that he should reach out for something new let it be an advancement, not a retrogression. Why dig up the peaceful past - it has served its purpose. It brought us to the present day - let it rest. The works of the past cannot serve us now and so far as the laws of the past are concerned we are now using them, for there is in the whole cosmos only one principle of action. It is used in the billions of varying manifestations but itself never changes. The only way in which we can prove the principle is by the effects produced and surely we are producing effects on a much vaster scale than did the ancients. In those days if a man discovered something of use to humanity he was considered divine and his revelation a miracle. Today we have a new invention almost daily and think nothing of it.
180 多くの宗教グループの中で、とりわけ魔術的性質を持つものの中にあって、私達は古代人達の偉大な知恵について多くを聞かされます。「もしマスターの行動状態にまで進歩したいと思うなら、立ち戻って昔の教えを学ばなければならない」と教えられます。しかし、それは少しねじれた考えではないでしょうか。進歩する為に立ち戻る必要があるなどということがです。しかし何故でしょう。進化は拡大であり成長です。成熟を達成する過程にある樹木が根の中に向かって下に伸びるでしょうか。もし、そうなれが私達はその果実を味わうことは出来なくなることは確かです。私は誰も自分が手にしているものを享受していないのではないか、また何か新しいことに手を伸ばすことが正しい時には進歩があるべきで、退化することはありません。何故平穏になっている過去を掘り起こすのでしょうか。それはその目的を務め終わっているのです。それは私達を今日にもたらしたのであり、休ませましょう。過去の業は今日の私達に仕えることは出来ず、過去の法則に限って、私達はそれらを用います。何故なら全宇宙の中には唯一つの行動原理しか存在し得ないからです。何十億もの異なる創造物に用いられていますが、それ自体は決して変化しません。私達がその法則を証明できる唯一の方法は、作り出された結果によってであり、確かに私達は古代人が成したより、はるかに広いスケールで結果を作り上げています。当時、もし人が人類に有用な何物かを発見したとすれば、その者は聖なる者であり、その者の発見は奇跡と見なされました。今日、私達は毎日のように新しい発見をしますが、それについては何ほども考えはしません。




【解説】
歴史から学ぶことは大切ですが、それはあくまで"反省"の一環として取り組むべきであり、過去を美化すべきではありません。本項では、とかく私達が陥りやすい懐古的姿勢が現代の私達に役に立たないことを諭しています。
その理由は客観的に見れば明らかなように、私達は昔の人達より進化した社会の中に暮らしており、水や電気も自由に手に入る生活の中に居る訳で、古代人より優れた生活レベルにあります。もちろんそれこそが進化の道であり、紆余曲折をしながらも私達はこれまで進んで来たのです。
その上で、私達は自らの取り組むべき課題を少しずつであっても解決し、未来に訪れる人達に提供した上で、この世を去る必要があります。内村鑑三の『後世への最大遺物』はそうした人間の生き方を説いたものです。
本章では特に、当時米国西海岸で多く湧き出ていたと思われる、太古の文明を起源とする新興宗教に対して警告しているように思われます。物質主義の当時の米国の中にあって、新たな精神主義の芽が出始める頃に、著者がその精神性に目覚めかけた人々に対して贈った重要なメッセージであったように思われます。


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